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アビラのテレサと十字架のヨハネ [中世ユダヤ・キリスト教]

16世紀スペインのカルメル会の、アビラのテレサ(女子修道会)と十字架のヨハネ(男子修道会)は、中世カトリックの神秘主義の一つの代表的な形を示しています。

両者は共に、否定神学の実践的な傾向を持ち、言葉やイメージを伴った祈り・瞑想ではなく、言葉もイメージもない黙想(コンテンプレーション)を重視します。

また、最終的な神との触れ合いを「霊的結婚」、「聖婚」というイメージで語ります。
そのため、従来からあるキリスト教神秘主義の修行のプロセス「浄化」→「照明」→「合一」を、同時に「交際」→「婚約」→「結婚」と表現します。


ラビアのテレサは、『霊魂の城』で、神との霊的結婚に至る魂の上昇の過程を、人の魂の中にあるダイヤモンド宝石で作られた「7つの宮殿」として表現して書いています。
中心の宮殿には花婿である神がいます。
また、魂は光の球のように光を放つ鏡であり、その中心にはキリストがいるとも表現します。

「7つの宮殿」はそれぞれ下記のような境地、試練を表現しています。

1 魂が自我の汚れを知る 神の現存に気づいていない
2 神の呼びかけに応えて神に近づいていく
3 神でないものから離れて、愛の業に励む
4 神の平和と甘味を実感する
5 自我を乗り越え神だけを求める
6 神との愛の一致への憧れに焦がれる(婚約)
7 神と魂が一つになる(結婚)

最後に神と魂が一つになると言っても、両者には区別があって結びつくという意味です。
「合一」という言葉は分かりにくいですが、「融一・融合」ではなく「結合」です。

この段階では、感覚的直観や想像力はなくなります。
「知性は働かずに休み、小さな小窓から何が行われているか覗かせてくれる」と表現しています。


十字架のヨハネは、ラビアのテレサを慕いながらも、独自な表現をしました。

彼は、『カルメル山登攀』、『暗夜』において否定神学的なアプローチを表現します。
彼は人間の心の要素を分類し、それを否定することで神に近づく道を示します。
それは「浄化」のプロセスであり、「暗夜」のイメージをもって示されます。

五感である外的な、肉体的・感覚的な働きをなくします。
想像力のような内的な、感覚的な働きもなくします。
様々な霊的な働きもなくします。

霊的な働きを細かく見ると、まず、「霊的視覚(見神体験)」、「啓示」、「霊的言語」、「霊的直観」に分けられます。
これらは「個別的・明瞭な」働きとしてまとまられます。
この霊的体験は、魂の「本体」による「接触」的体験として語られます。
イメージや観念を伴った体験であるにもかかわらず、視聴覚よりも触覚のイメージで語られるというのは、それを越えようとしている側面があることを思わせます。

次に、「全体的・不明瞭な」霊的働きがあります。
これは、すでにイメージや観念が一切ない体験で、瞑想ではなく観照(コンテンプレーション)と表現されるべきものです。
仏教の体系で言えば「無色界」の諸天に当たるのかもしれませんが、ヨハネはこれを「受
動的」、「平安」、「愛」といった言葉で表現します。

この段階で、否定神学的なアプローチは限界を向えているようです。
そのため、『カルメル山登攀』、『暗夜』は未完で終わり、ヨハネは霊的な結婚のイメージで語る『愛の生ける炎』を書き始めます。
これは、否定神学ではなく、神秘神学、恋愛神学と表現すべきものでしょう。

上記したすべての霊的体験の次に来るのが、神との「合一」であり、「結婚」と表現される体験です。
もちろん、花婿としてのキリストと、花嫁としての魂との結婚は、イメージによる表現であって、実際の体験にはイメージも観念もありません。
そして、この「合一」は、テレサと同じく「融一・融合」ではなく「結合」です。

この合一体験に関して、彼女は神が「愛の生ける炎」として、「甘味な接触」を行う、あるいは逆に「優しく傷つける」と表現します。

また、神の炎、光は、神が「投影した陰」であり、魂はそれを「鏡」として「照らし返し」、「輝きへと変容する」と表現します。

また、結婚のイメージでは、「私の胸の中であなたは目覚める」、「共に目覚める」、「神を神自身(恋人)に与え返す」と表現します。

ヨハネは日常的な言葉で表現し、スコラ学の言葉を使用しません。
これによって、異端とされることを避けつつ、スコラ学を越えた地点を表現しようとしたのでしょう。

そして、最終的な表現として、「あなたは私で、私はあなたであるでしょう」と表現します。
これは「合一・結合」を越えて、「融合・融一」の状態であり、現在形では異端的表現となるため、未来形として、終末における出来事として表現します。


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エックハルトと自由心霊派 [中世ユダヤ・キリスト教]

神秘体験によって語ることを止めたトマスに対して、神秘体験からこそ語ったのがヨーロッパ中世最大の神秘主義的神学者のエックハルトです。
エックハルトはトマスがちょうど亡くなった頃、彼と入れ替わるようにドミニコ会に入会しました。

彼は師のアルベルト・マグナス同様、アリストテレスと新プラトン主義の両方から影響を受けました。
ちなみに、13Cはドミニコ会を中心にアリストテレス主義が全盛をきわめたに対して、14Cはフランチェスコ会を中心にした新プラトン主義の反撃の時代でした。

すでに紹介したように、キリスト教神秘主義は通常、神と無から創造された被造物である魂が断絶していると考えて、花嫁である魂が花婿である子なる神キリスト=ロゴスと結合するという表現によって、魂が本来の神の似像に戻ることを目指します。
ですが、エックハルトはこれを越えて、魂は父なる神を受け入れて子なる神を生むと考えました。
エックハルトはキリスト教の一線を越えて、魂の神性を認めたのです。

そのためには、魂はあらゆる被造物を「離脱」しなければなりません。
この時、あらゆる心身の働き、自我はもちろん、あらゆる神に対する思いも神に対する認識も神に至る能動的な方法論も捨て、神の像、3位一体の神格も捨てます。
すると、この「乙女」のように「無」である受け身の魂を父なる神が能動的に満たし、父なる神と父なる神と等しくなった「婦女」である魂が一人子を生むのです。

この父なる神が魂の中で子を生むのは、神が本性の内で一人子を生むのとまったく同じなのです。
そして、この時、神がイエスとして現れたのと同じように、神は人となっています。
この父なる神と、父なる神と等しい魂は、「原初の根源」、「魂の根底」、「原初の純粋性の充填」、「認識されない深く隠された暗黒」、「何者も住まない静寂の砂漠」と表現されます。

父なる神が魂の中で子なる神=ロゴスを生むのなら、この時、人は父の語るロゴスをそのまま語ることになるはずです、エックハルトは自分が話しているのではなく、真理そのものが話していると語りました。
ですから、彼はトマスのように沈黙することなく、語る必要があったのです。

エックハルトの教説はインド思想に似ています。
彼は、被造物に愛着をいたくことが悩みの原因なのでこれを放棄すべきこと、そして、すべてのものに神を見ることを語りました。

エックハルトの言う「離脱」は単なる被造物の否定に留まりません。
この「神の不動の離脱」と表現されるのは、神が天地を創造したり、人となるその時も、つまり被像物と関わっているその時も同時に被造物から離脱し続けているのです。

これと同じように、人間の最終的な目標も、被造物から離脱しながら、現実生活で活動を行うべきなのです。
エックハルトは行為そのものよりも、離脱しているかどうか、いかなる状態でその行為を行ったかを問題としたのです。

エックハルトは晩年に異端の審問を受け、死後に異端とされました。
彼は1314年からシュトラスブルグ、1323年からケルンで説教しましたが、その頃、この地には「自由心霊派」と呼ばれる神秘主義的な異端思想が盛んでした。

修道院は比較的裕福な人間が入会する組織なのですが、これとは別に貧しい人間が入会する組織である「ベギン会(女性会)」、「ベガルト会(男性会)」がドイツに存在しました。
ベギン会は花婿としてのキリストと、花嫁としての魂の結合を目指す一般的なキリスト教神秘主義の傾向を持っていました。
シュトラスブルグからケルンにかけてのライン川上流の地域のベガルト・ベギン会には過激な自由心霊派が生れました。

自由心霊派は完全に霊化された人間はどんな行動をしようが、それは神聖なもので、教会の規則や一般的な倫理などに縛られず、キリストさえ必要ないと考えました。
この考えは、エックハルトとほぼ同じです。
これは、社会道徳を否定したグノーシス主義的な自由の考え方に近いものです。 
 


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托鉢修道院とスコラ学 [中世ユダヤ・キリスト教]

旧来、修道院は都市から離れて山間で隠遁生活を行う場所でしたが、多くの異端が生まれた都市部で、正統説を説教して異端派を改宗させるための存在として新しいタイプの教皇直属の修道院が生まれました。
これは「托鉢修道院」、あるいは「説教修道院」と呼ばれます。
具体的にはドミニコ会とフランチェスコ会です。

托鉢修道院は異端に対抗するために異端同様の清貧さを重視しました。ですが、これ自体が異端視の危険を持っていたのです。
カトリック教皇は、托鉢修道院の清貧さを認めつつ、それが過度にならないように制限し、これに反発したフランチェスコ会の厳格派に対して異端宣告をしました。

また、托鉢修道僧達は1200年に生まれたパリ大学教師職を独占しました。
彼らは神学や哲学のスペシャリストとなり、一方で異端を恐れない革新的な新思想を担うと共に、他方で異端審問官を勤めました。

13Cにはトレド発のイスラム哲学の翻訳運動が進展して、本格的にイブン・ルシド(アヴェイロス)主義、アリストテレス主義が輸入され、スコラ学的方法が発展します。
ですが、1210年以来、アリストテレスの著作は次々と禁書にされました。
しかし、パリ大学これに屈せずに1255年には人文科を実質的にアリストテレスを中心とした哲学科としました。

すでに紹介したように、旧約聖書とアリストテレス哲学(アヴェイロス主義)には矛盾があって、これがイスラム哲学で問題とされました。
西欧の哲学や神学で問題とされた矛盾は次の2点です。

アヴェイロスによれば、世界は始まりも終わりもなく、個々人の霊魂の最高の部分である能動的知性(アリストテレスの言う「一切をなす知性」)は個人を越えた単一なる存在です。
ですが、キリスト教では世界は始まりのある有限の存在で、霊魂は個的な多数ある存在です。

この矛盾に対して、アリストテレス哲学を否定する立場、キリスト教に矛盾しない範囲で認める立場、宗教と哲学は立場が違うとして2つの真理を共に認める立場がありました。

13Cのフランチェスコ会の代表的な神学者であるボナヴェントゥラは、新プラトン主義的な神学の立場からアリストテレスを否定しました。
彼は偽ディオニシオスが存在をその階層に応じた受容能力によって神の似像となると考えたこと、また、アヴィセンアが魂を宇宙や霊的知性界の全体を映す鏡だと考えたこと、この2つの思想を統合しました。
そして、人間の霊を階層を映す鏡にして階層を見る目差し、人間の魂をすべてを互いに表現する教会的存在と考えました。

一方、中世のキリスト教神学、スコラ学を代表する思想家は、ボナヴェントゥラと同時期にパリ大学で教えていたドミニコ会のトマス・アクィナスです。
彼は、アリストテレスが「一切をなす知性」を一なる存在とは言っていないことを突き止め、また、世界の永遠性については、理性の範囲を越えたものとして聖書の啓示を優先しました。
トマスのアリストテレス主義は最初は異端とされましたが、彼の死後、正統説として認められるようになりました。

トマスの、そしてスコラ学の主著である『神学大全』は実は未完なのです。
トマスは『神学大全』を執筆中の1273年のある日のミサの時、神秘体験を経験しました。
そしてその後、彼は一切の執筆も教授も絶ったのです。
彼は秘書に「たいへんなものを見てしまった。それに比べれば私のこれまでに書いたものはワラクズのように思われる」と述べました。
つまり、キリスト教最大の神学者であるトマスは、ただ一度の神秘体験によって神学の価値を否定して沈黙を通したのです。 


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スコトス・エリウゲナ [中世ユダヤ・キリスト教]

カロリング・ルネサンス期の最大の哲学者はアイルランド出身でフランスに移住したスコトス・エリウゲナです。
彼は偽ディオニシオス、マクシモスら東方の教父達の神学書ギリシャ語からラテン語に翻訳して、ギリシャ教父の思想とその背景にある新プラトン主義を西方ラテン世界に伝えました。
そして、彼は新プラトン主義哲学とキリスト教救済史を結びつけてそれを最初に体系化しながら、独自の壮大な思想をました。
また、彼の思想にはケルト的な自然観があるとも言われています。

エリウゲナは神とすべての被造物を含めて「自然(フュシス)」と呼んで、それを至高の神の創造から始まって、人間の認識を通して神に帰一するに至る4段階の運動として捉えたのです。
「創造されず創造する存在(第1原因としての神)」、「創造され創造する存在(イデア)」、「創造され創造しない存在(物質的自然)」、「創造されず創造しない存在(目的としての神)」の4つです。

彼はキリスト教徒なので、流出説ではなく「無」からの創造説を支持しました。
ですが、通常の考え方とは少し違います。
彼にとって神は世界とは異なる超越的な存在なので、否定神学的に無と表現できるような神です。
また一方で、神は創造を基本的な性質としていて、神は世界創造によって自らを創造するような存在なので、創造以前には神も単に無でしかないのです。

人間は本来、神によってロゴスの内に神の似像としてイデア的に造られた「原人間(根源的人間)」です。
これは、普遍的人間本性であって、一なる存在です。
人間は神の似像として自由意志を与えられたのですが、これを悪用したために罪によって堕落して、性別と肉体を持つ多数で多様な存在になったのです。
また、同時に世界も汚れたものになりました。

エリウゲナにとって人間は小宇宙です。
つまり、人間は神的な世界と物質の世界の2つを媒介する「全体者(あらゆる被造物の工房)」、天使的な性質から動物的な性質まで持つ存在です。
ですが、キリスト教に従って、あくまでも人間の霊魂は一つで、肉体もイデア的には霊魂と同時に神によって創造されたものとして、霊魂と肉体を分離して考えませんでした。

エリウゲナは人間が肉体を伴って最低の段階にまで下降した現在、ここから反転、再上昇して、最終的には神に帰一すると考えました。
そして、この反転と回帰はキリストの受肉と復活によってあらかじめ実現され、示されているのです。
つまり、彼は人間の霊的な下降と上昇を、キリストを折り返し点とする宇宙論的な歴史として明確に語ったのです。
キリストの受肉は神の人間や物質との再合一であって、キリストは単なる贖罪ではなく人間を神とするために現れたのです。

人間は神のロゴス=キリストを受肉させてロゴスを認識することによって浄化されます。
終末には肉体ではなくが霊的身体を伴って復活します。
そして、原人間の純一性に帰一し、最終的には全自然とともに神へ、神の至福の直観へと帰一するのです。
人間や世界が単に神の似像として完成されるのではなくて、認識を通じて完全に至高神へと一体化するのです。
これは、キリスト教や新プラトン主義ではなく、原初の火に帰一する点でエンペドクレスやストア派に近いのですが、それが繰り返されず一回的なものだという点で独自なものです。
 


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3つのプレ・ルネサンス [中世ユダヤ・キリスト教]

ローマ帝国の東西分裂、529年のアカデメイアの閉鎖・哲学の禁止と、イスラム帝国の台頭によるオリエントとの貿易行路の遮断によって、中世ヨーロッパ世界(ローマ世界)は高度な古代文化から退化すると同時に、それらを受け継いだ文化的先進地であるペルシャ・イスラム世界に対して鎖国状態となりました。
さらに、ヨーロッパ世界内でも、西方のラテン=ローマ・カトリック世界(西ローマ帝国→フランク王国→神聖ローマ帝国)は、わずかに古代文化を継承していた東方のギリシャ=ビザンチン世界(東ローマ帝国)に対しても鎖国状態になりました。
 
ですが、中世期を通じて徐々に古代思想、オリエント神智学が復興されていきました。
この復興は「ルネサンス(文芸復興)」と表現されます。
15Cにイタリアで本格的に起こる大きなルネサンスに対して、それまでに3つの小さなルネサンスがありました。  

まず、東方のギリシャ世界では、9Cにフォーティオスを中心に百科全書主義的な運動が起こって、新プラトン主義を含む若干の古代思想が復活しました。
そして、11Cにはミハエル・プセロスがビザンチン皇帝の支持を受けてコンスタンチノープルにアカデメイアを復活させました。
彼は新プラトン主義、特にプロクロスに傾倒して、「カルデア人の神託」にも興味を示しました。
一方、ヨハネス・イタロスはアリストテレス論理学を神学に導入しました。

こうして、ビザンチンでは異端視の危険をはらみながらも、プラトン主義とアリストテレス主義が対立がしながら継続しました。
この一連の運動は「ビザンチン・ルネサンス」と呼ばれます。

一方、西方のラテン世界では、800年にローマ帝国の帝冠を受けたフランク王国カロリング朝のカール大帝が、その前後に文芸の復興を行い、多くの学校を作りました。
西方世界で古代哲学が継承されていたのはイングランドのみでしたので、イングランドからアルクインを側近に向かえました。
彼はイギリスのヨークから多くの文献を輸入しました。
この9世紀の文芸復興は「カロリング・ルネサンス」と呼ばれます。

その後、11C頃から徐々に都市が発展を始め、十字軍によるコンスタンチノープルとエルサレム攻略によって商業ルートも確立されます。
こうして北イタリアを中心にユダヤ人、アラブ人も住む国際都市が発展します。
また、11C末にはイスラム勢力に支配されていたスペインで国土回復運動が活発になって1085年にはトレドを奪回し、イスラムで継承・発展させられていたギリシャ哲学が、アラビア語からユダヤ人達を介してラテン語に翻訳され始めます。

12Cにはこのような時代を背景に、修道院ではシャルトル学派やサン・ヴィクトル学派によってプラトン主義、ピタゴラス主義、アウグスティヌス主義的なキリスト教思想が発達しました。
一方、都市部では、弁証法(討論による教授・探究法)と論理学が発展しました。
この方法は「スコラ」と呼ばれます。

また、トレドのユダヤ人経由でイスラム哲学のイブン・スィーナー(アヴィセンナ)が紹介され、教父達によってキリスト教化された新プラトン主義とは異なる、イスラム教徒によって一神教化された新プラトン主義がラテン世界に輸入されました。
これらの動向は「12Cルネサンス」と呼ばれます。

また、ルネサンスに反対する動きもありました。
これを代表するのはシトー修道院のベルナールです。
彼は哲学や神学を批判しました。

ですが、キリスト教神秘思想という点では、シトー修道院のヨアキム・デ・フィオレが興味深い教説を展開しました。
律法が支配する旧約の「父の時代」、信仰が支配する新約の「子の時代」に続いて、1260年から新たな自由と愛が支配する「聖霊の時代」が始まると預言したのです。
彼の説はその後のキリスト教思想に大きな影響を与えました。

 


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ヒルデガルトと女性の神性 [中世ユダヤ・キリスト教]

キリスト教は女性の神性を重視しない傾向が強いのですが、中世には正統キリスト教の中にも聖母崇拝が強まりました。

5Cにはエフェソスで開かれた会議で、マリアを「神の母」と呼ぶことが決められました。
エフェソスは古くからのアルテミスの聖地で、また、聖母マリアが死んだとされる地でもあり、ここには聖母マリアを崇拝するコリリディア派がありました。
そして、同じ頃からマリアはイエス同様に死後に肉体のまま復活して天に引き上げられたとする「聖母被昇天説」が広がりました。
さらに、8C頃からマリアは原罪を持たなかったとする「聖母無原罪説」も広がりました。

こうして、古くからの地母神崇拝がキリスト教の聖母信仰の中に吸収されていきました。

聖母信仰が特に盛り上がりを見せた12Cに活動したビンゲンのヒルデガルトは、中世最大の女性神秘家(幻視家、預言者)です。
彼女は幼くして修道庵に預けられましたが、それ以前から、昼夜の区別なく目を見開いている時も含めて、エクスタシーを伴わずに神的なヴィジョンを見ました。
やがて、彼女は修道院長となり、ある日から自分のヴィジョンをただ見たり聴いたりしたままに語り始めました。

彼女は女性でしたので、当然、神学や聖書解釈学、ラテン語などを正式なカリキュラムで勉強していませんでした。
ですが、彼女のヴィジョンは教皇に公認され、神学的な著作や説教をすることを認められた初めての女性になりました。

彼女は当時の堕落した教会を批判することに努めました。
彼女は教会が堕落した当時を「女々しい時代」と表現し、学のある男性を懲らしめるために、神が無学で低い存在の女性に預言を与えたと考えました。

彼女のヴィジョンには、直接的な霊的な視聴覚的な体験と、それに対する天の声による解釈があります。
彼女が直接見たものは神そのものであろう「生きた光」と、光る雲のようなその「生きた光の反映」である様々な象徴的な形象を持った存在です。
このヴィジョンで語られる言葉は、人間の言葉には似ていない音で、輝く炎やエーテルの動く雲のようだったと彼女は表現しています。
ですから、彼女がヴィジョンを語る時点である程度の翻訳が生じ、さらにそれをラテン語の教養のある修道士が書く時点で、通常の人間が理解できる形に整えたものなのです。

彼女は神によって「知られざる文字」と「知られざる言葉」を生み出すように思し召しを受けたと書いています。
実際、存在しない多くのアルファベットを記したり、新造語をたくさん使ったりしました。
彼女は多くの聖歌を作曲しています。
彼女は音楽を、堕落する以前のアダムが喋っていた聖なる言葉であるべきものだと考えていました。
ですから、彼女の聖歌の楽譜の原典の中には、解読不可能な「知られざる言葉」が書かれているものがあります。

彼女は旧約知恵文学の「知恵(ホクマー=ソフィア)」以来の、キリスト教の中にある様々な女性の神性を認める伝統を受け継ぎながら、そこに独自な要素を付け加えました。
彼女はカタリ派に対して抗戦的姿勢を示すなど、あくまでも正統派の信仰に従っていましたが、とても思いきって表現をしました。
彼女は「知恵」、「愛」、「聖母(処女)」、「母体」、「教会」などの様々な女性的神性を重視し、これらを具体的な姿を持つ神格として幻視しました。

まず、「知恵」と「愛」は男性的存在の父・子・聖霊に対して、神(父)の花嫁、キリスト(子)の花嫁、キリストや聖霊の女性的側面などと考えられました。
「知恵」と「愛」は一体的存在で、世界を創造すると共に世界に内在して司る存在でもあるのです。

また一方で、神と被造物・物質との関係では被造物・物質が女性的存在と考えられました。
「愛」は「母体」という側面を現します。
「母体」は宇宙を作る第1質料です。
そして、「母体」から作られた純粋な自然の原型が「処女」と呼ばれます。
「処女」は「エデン」と同等な存在でもあって、イヴもそうだったのですが、悪によって堕落させられます。

ヒルデガルトはすべてを宇宙論的・存在論的に考えました。
堕落・救済も単に人間だけの問題ではなく宇宙論的・存在論的な問題なのです。
ですから、彼女は堕落によって世界自体が不浄なものになったと考えました。
 ヒルデガルトにとってマリアは単に地上に生れた存在であるだけでなく、世界の創造以前から存在する「天上のマリア」という原型としての存在があります。
これは「知恵」の妹であって「処女」と同質な存在です。

ヒルデガルトにとって、キリストの受肉は宇宙論的に最重要なできごとです。
彼女にとって女性性は低く、弱く、従順な存在です。
ですが、マリアはそのような存在であることによって、神を受胎し神を生むのです。
そしてこれを通して、マリアは世界を浄化し、最創造し、イヴが失ったものを取り戻すのです。

また、マリアは「教会」や司祭の原型的存在でもあります。
「教会」も天上に原型が存在します。
「教会」はキリストが十字架で贖罪を行った時に、キリストの花嫁であり母として天上から降りてきてキリストの脇腹から生まれました。
「教会」は現在形・未来形のマリアであって、説教という乳によって信者を養い、キリストを生み続ける存在なのです。

 


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テンプル騎士団 [中世ユダヤ・キリスト教]

1096年にはキリスト教の聖地エルサレムをイスラム教徒から奪回しようとする十字軍が始まりました。
この十字軍の騎士の中で、聖地巡礼者を守るために12Cに結成された組織に「テンプル騎士団」があります。

テンプル騎士団は表向きの目的とは別に、文化的な先進地だったオリエントの思想を取り入れた秘儀的な性質を持っていたと推測されています。
また、テンプル騎士団は洗礼者ヨハネを崇拝し、マリアや女性原理に対する信仰も持っていました。

テンプル騎士団はゴシック聖堂の建設に多くの寄与をし、そこに女性原理や秘教的な知識を盛り込んだようです。
テンプル騎士団は南フランスにも多くの領土を持ちカタリ派と関係を持っていたようで、アルビジョア十字軍がカタリ派を攻めた時も、これに参加せず、カタリ派をかくまうこともありました。
テンプル騎士団は14Cに異端として弾圧され、何人かは火刑に処され、1312年には絶滅されました。

またこの頃、聖杯伝説が南フランスを中心に生れましらが、この物語の誕生には様々ないきさつがあるのです。
洗礼者ヨハネはイエスに先んじてユダヤ王によって殺され、その首をはねられました。
そのため、この「首」やその首を乗せた「皿」が聖物として信仰されました。
このヨハネの首に対する信仰には、八つ裂きにされたオルフェウスの首に対する信仰を思い出させます。

また、これと同様に、最後の晩餐の時にイエスがワインを入れた、もしくは十字架上のイエスの血を受けた「杯」や、パンを乗せた「皿」も聖物として信仰されました。
マグダラのマリアが聖杯を南フランスに持ってきたという伝説もあります。
これらはいずれも象徴的にはほぼ等価な霊的な女性原理を現しています。

聖杯伝説は、もともとはケルト神話に出てくる「魔法の大釜」がモデルだったと言われています。
この頃、ノルマン人がイングランドを征服した結果、ケルト文化がヨーロッパに広がったのです。
これが洗礼者ヨハネの頭を乗せた「聖皿」に、さらに「聖杯」へと置き変えられて、キリスト教化して生まれたのです。聖杯伝説には様々な異端思想が盛り込まれています。

また、カタリ派やテンプル騎士団などの大弾圧の後、タロット・カードがイタリアに姿を現しました。
そのため、彼ら異端派がその教義を伝道するための最後の手段として、タロット・カードを生み出したとする説もあります。
カタリ派やテンプル騎士団の思想のベースになっているマニ教では、絵によって教義を説いていたため、これがタロット・カードに変わっていったという説もあります。
その真偽は不明ですが、タロット・カードにはオリエント秘教思想を読み取ることができます。


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マグダラのマリア派とカタリ派 [中世ユダヤ・キリスト教]

イエスは洗礼者ヨハネを継承するオリエント秘儀宗教やグノーシス主義色の濃い思想を持っていた可能性がないわけではありません。
そうでないにしても、初期のキリスト教徒の中には、そのような傾向の一派がいたのは間違いないでしょう。
そして、その秘儀的思想はイシス同様の役割を担っていたマグダラのマリアによって南フランスのプロヴァンス地方に伝道されたのかもしれません。
そうでないにしても、そのようなマグダラのマリアを旗印にした一派によって伝道されました。

この地では、現在もマグダラのマリアの頭部像や頭蓋骨を担いで練り歩く祭りが行われています。
また、彼女やイシスをも含めた地母神信仰を継承する「黒い聖母像」を持つ教会が多数存在します。
そして、南フランスには洗礼者ヨハネを祭る教会も多数存在します。
一方、マニ教はキリスト教によって弾圧を受けながらも、4Cには西方世界全域に広がりました。
そして、弾圧の中で徐々に表面的にはキリスト教を装うようになりました。

10C頃に、アルメニアで生まれた小パオロ派、ブルガリアで生まれたボゴミール派は、マニ教やグノーシス主義の影響の濃い異端派です。
都市が発達した北イタリアと南フランスは、ボゴミール派が伝道されるなどして様々な異端派の拠点となりました。

12C頃までに様々に交流しながら形成されたマニ教やグノーシス主義を受け継ぐ西方世界の異端派は「カタリ派」と呼ばれるようになりました。
カタリ派は各地に存在しながら、密接に統合されていました。

カタリ派はマニ教から原人の悪神に対する敗北の神話や輪廻思想を、グノーシス主義から霊・魂・体の3元論、物質世界が悪神に由来するという説を受け継ぎました。
そして、現世否定的な傾向を持ち、特に僧侶(覚者)は徹底的な禁欲主義を貫きました。

カトリック教会は、洗礼などのカトリックの制度や手続きそのものによって、それを行う人の人間性に関係なく救済ができると考えていました。
また、制度に安住して聖職売買などの教会の堕落が起こりました。
そのため、これが清貧さや個々人の霊性を重視する異端思想が生まれる原因になっていました。
これはカタリ派がカトリック教会とその洗礼や秘積を否定して、清貧を究めた覚者による手を頭上にかざすだけの洗礼を行っていたことにも現れています。

カタリ派はカトリック神学に対抗するために神学的思想も形成しました。
その代表は「アルバネンセス派」と呼ばれるイタリアのカタリ派のヨハネス・デ・ルギオと、「アルビジョア派」と呼ばれる南フランスはラングドックのバルトロメです。
特にルギオは2元論的な神学・神智学を徹底させました。
カタリ派はヨハネ福音書を2元論的に解釈し、ロゴスによる善なる創造と、無による悪なる創造の2つの創造があったと考えました。
カトリック、特にアウグスティヌスによれば、悪は実在せず、単なる「非存在・無」として定義されます。
ですが、カタリ派にとっても悪は「非存在・無」なのですが、そのような悪が実在するのです。
これは神と同様に超時間的存在で、神から独立しています。

正統派キリスト教では世界は無から創造されましたが、カタリ派は善なる創造は父なる神の本質から微細な素材によって、悪なる創造は父なる悪の本質から物質素材によって創造されたと考えました。

カタリ派は、人間は本来は天使的存在だったけれど、悪の誘惑によって認識の間違いによって堕落したと考えました。
人間は霊を霊界に残したまま、魂が物質的肉体に捉えられたのです。
人間は自由意志を持つことなく、神と悪の戦いの場となるのです。
そして、キリストとしての神の自己犠牲を通して、神は悪に打ち勝ちます。
そして、終末には人間は天使に復帰します。

南フランスの「アルビジョア派」はマグダラのマリア派とも結びついていました。
アルビジョア派はマグダラのマリアがイエスの秘儀的で性的なパートナーで、イエスの真の教えはマグダラとヨハネ(洗礼者でなく福音書を書いたヨハネ)に伝えられたと考え、カトリック教会の権威を否定しました。
ラングドック=ルション地方ではカタリ派が公認の宗教となっていました。

1209年にカトリック教会はカタリ派を絶滅すべく、十字軍(アルビジョア十字軍と呼ばれました)を結成しました。
この地の人々はカタリ派をかばったため、10万人規模の虐殺が行われました。
アルビジョア十字軍は洗礼者ヨハネの聖日6/24に召集され、マグダラのマリアの聖日7/22には大虐殺が行われました。
こうして20年をかけて戦いが続き、1243年にはカタリ派最後の牙城が攻略されました。  


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