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イスマーイール派神話の哲学化 [イスラム教]

イスマーイール派の神話は、ファーティマ朝期にスィジスターニやキルマーニーらによって哲学化されました。

<スィジスターニ>

スィジスターニは新プラトン主義の影響がペルシャ学派の哲学者です。
彼はカルマト派の神話・思想とペルシャ学派の哲学を統合しました。

スィジスターニにとっての究極存在である神は、不可知の神です。
「神はAでない」「神は非Aでもない」と二重否定でしか表現されません。

神は「あれ!」という言葉と同一視される「創定行為」によって第一の存在者である「知性」=「第一被造物」を創造します。
「知性」はその後の流出の起源であり、形相と質料の起源です。

「知性」は「普遍霊魂」=「第二被造物」=「後継者」を流出します。
「知性」が現実態において完全であるのに対して、「普遍霊魂」は可能的存在です。

「霊魂」は「自然」と流出しますが、「自然」に惹きつけられて下位世界に下降します。
そのため、「霊魂」は「知性」との距離が出来て「不安」を持つ存在なのです。

「自然」は「7天球」、「4元素」、「鉱物」、「植物」、「動物」、「人間」という段階で流出・創造します。

「普遍霊魂」は人間の中には「部分霊魂」として入り込みます。
人間は死後に「普遍霊魂」に復帰できます。
そのためには、肉体の束縛を離れた純粋形相に対する認識(グノーシス)が必要です。
人間がグノーシスを得るためには、聖職者の組織が必要です。

以上のように、スィジスターニはプロティノス的な神・知性・霊魂の3位階を考えていて、プトレマイオス的な10階層を取り入れたペルシャ学派のファーラビーの流れとは異なります。

しかし、また同時に、スィジスターニも7つの周期、7人の告知者、7文字の獲得というカルマト派の神話を共有しています。
カーイムは「知性」からの導きを受けた特別な存在です。
そして、「純粋霊魂」である最後のカーイムの出現によって、人間は肉体を離れて、元の位階に復帰した普遍霊魂に一体化します。


<キルマーニー>

キルマーニーの哲学は、ファーティマ朝の主流です。
宇宙論的には、スィジスターニとは異なり、プトレマイオス的な10階層を取り入れたファーラビーの流れにあります。
また、宇宙論に「堕落」を含まないなど、神話的側面が希薄なことも特徴です。

キルマーニーの哲学は、ファーティマ朝が終末を成就できなかった現実を正当化する必要に答える部分があります。
彼はファーティマ朝を、千年王国のような存在として位置づけます。


究極存在としての神を、二重否定を用いて定義する点はスィジスターニと同じです。
神による無からの創造(創定行為)を流出の上に接合する点も同様です。

ただ、「あれ!」という創定行為を、神の側よりも「第一知性」の側に考えることで、神の不可知性を徹底させます。
「第一知性」は神を思考することはできません。
神と「第一知性」の間には、絶対的な断絶があるのです。

神は「第一知性」を創造しますが、その後、「第一知性」は2系列の知性を流出します。

一つは現実態の「現実知性(離在知性)」の系列です。
これは質料を伴わない知性であり、天使でもあります。
これらは「第二知性(第一流出体)」から「第十知性」までです。
「第一知性」はアリストテレスの言う「不動の動者」であり、「第十知性」は「能動的知性」です。
また、「第二知性」をスィジスターニの「普遍霊魂」と見なしています。

もう一つは「可能知性」の系列で、「質料」と「形相」からなる天球や天体、そして自然などの存在です。
これらは「第三存在者(最高天球)」から「自然(月下界)」までの10の存在です。
「第三存在者」はアリストテレスの言う「第一質料」でもあります。
「自然(月下界)」は「生成消滅界」とも呼ばれます。
そして、天体の霊魂も、人間の霊魂も「可能知性」です。

10の「現実知性」=天使は、それぞれ対応する10の天球を支配します。

各知性には人格的に表現される側面は少なく、流出は機械的に起こり、堕落は存在しません。

(キルマーニーにおける3つの階層の対応)
------------------
<可能知性>
<現実知性(天使)>
地上の聖職者>
最高天球(第三者)
第一知性(不動の動者)
告知者
第二天球
第二知性
基礎者
第三天球(土星)
第三知性
イマーム
第四天球(木星)
第四知性
バーブ(門)
第五天球(火星)
第五知性
第六天球(太陽)
第六知性
第七天球(金星)
第七知性
第八天球(水星)
第八知性
第九天球(月)
第九知性
月下の自然
第十知性(能動的知性
入門者


「第一知性」は「一者性」を持つ一なるものですが、同時に、10の属性を持つ多なるものです。
10の属性は、「創定行為」「真理」「一者性」「完璧性」「完全性」「永遠性」「知性」「知識」「能力」「生命」です。

「第一知性」は「生命」を本質としながら、他の9の属性を付帯しています。
このような存在として、「第一知性」は「第一完全態(第一究極)」であるとされます。

「第一知性」から流出した人間の霊魂は、可能態である「可能知性」の状態になっています。
そして、人間は、「現実知性」となって「第二完全態(第二究極)」を目指します。
「第二完全態」は、「生命」と他の9の属性が結びついて一体となった状態です。

これが宇宙の目的であり、歴史です。

また、以上の宇宙論的な存在者と、地上の聖職者の位階などが対応すます。
「第一知性」は「告知者」、「第二知性」は「基礎者」、「第三知性」は「イマーム」、それ以下の知性もそれ以下の聖職者の位階と対応します。
また、7人の「イマーム」が「第三知性」から「第九知性」に、終末の「カーイム」が「能動的知性」に対応するとも考えます。

「鉱物」は「自然霊魂」、「植物」は「成長霊魂」、「動物」は「感覚霊魂」を持ち、人間はさらに「理知霊魂」を持ちます。
「理知霊魂」は質料を必要としません。
これら自然は進化論的に順次、生み出されます。
キルマーニーはスィジスターニのように、人間が「普遍霊魂」を分有するとは考えません。

「告知者」は、感覚的・想像的認識によって「能動的知性」から照明を受け、結合し、知的な導きを受けます。
「告知者」、「基礎者」、「イマーム」はいずれも「現実知性」です。

終末の「カーイム」は「第二完全態」です。
人々は「カーイム」を通して肉体の束縛・質料を離れ、「現実知性」となり「第二完全態」となります。
終末に「第一知性」から聖霊が人間の霊魂の中に入り、人間を作り変えます。

ファーティマ朝では「イマーム」が常に地上に存在するとします。
また、終末は間近に迫っていないとしました。
こうして、ファーティマ朝は終末を先取りしつつも終末は訪れない、千年王国的存在です。

「カーイム」は律法(シャリーア)を廃棄しません。
また、聖職者の組織も廃絶されず、霊的世界にそのまま移行します。

キルマーニーの思想は、イエメンのタイイブ派にも受け継がれましたが、タイイブ派では再度、神話的側面が統合されます。
 


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初期イスマーイール派の神話 [イスラム教]

イスマーイール派の思想が哲学化される以前の、イスマーイール派の神話を2つ紹介します。 
最初はファーティマ朝以前、次がファーティマ朝期です。

<カルマト派>

初期のイスマーイール派の主流の神話は、はっきりとは分からないのですが、初期の分派であるカルマト派の神話とほぼ同じであると想像されます。

人類の歴史は「7つの周期」で進化します。
それぞれの周期は、預言者に当たる「告知者」が聖典とシャリーア(律法)をもたらして始めます。
「告知者」は聖典の外面的な意味「ザーヒル」を伝えます。
7人の「告知者」はアダム、ノア、アブラハム、モーゼ、イエス、ムハンマド、そしてイスマーイールです。

「告知者」の後には「沈黙者」が続き、内面的な意味「バーティン」を明らかにします。
ムハンマドの第6周期ではアリーが「沈黙者」に当たります。

「沈黙者」の後には「完成者」と呼ばれる7人の「イマーム」が続きます。
7人目のイマームは「カーイム」となり、新しい周期とシャリーアをもたらします。
ムハンマドの第6周期(イスラムの周期)では、イスマーイールの息子、ムハンマド・イブン・イスマーイールが最後のイマームに当たります。

1つの周期が終了するごとに、世界を構成する「7文字(アラビア文字のK、W、N、Y、Q、D、R)」の一つが地上にもたらされます。
つまり、霊的な智慧が順次もたらさせるということでしょう。

地上にはイマームを頂点にして聖職者のヒエラルキーが存在します。
イマーム下には「フッジャ(証)」がいます。
イマームが隠れている時期には、フッジャが聖職者組織を統括します。
さらにその下にも7つ(あるいはその他の数)の位階が存在します。

フッジャは12名おり、聖職者の組織は12のエリアごとに活動します。

ムハンマド・イブン・イスマーイールは救世主「マフディ」であり、人類史を完成させる告知者となり、イスラムの周期とシャリーアを終わらせます。
彼は新しいシャリーアをもたらさず、外面的な意味なしに究極的真理(ハキーカ)を明かします。


<アブー・イーサー>

ファーティマ朝期になりますが、アブー・イーサーによって、宇宙創造論的神話が付け加えられました。
その特徴は、「7文字」を主体としていることと、堕落論的性質を持っていることです。
文字(種子マントラ)を宇宙の根源として考えるのは、密教と同じ発想です。
堕落論は、グノーシス主義やミトラ教からの影響でしょう。

神は不可知の次元の存在です。
神が意図した時、「光」を創造し、それを通して創造しました。
しかし、「光」は自分が創造者なのか被造物なのか分からず、一瞬たたずんでしまいました。
神は「光」に霊を吹き込んで、「あれ!(kun)」と声を投げかけ、「光」に「カーフ文字(K)」、「ヌーン文字(N)」、「ワー文字(W)」、「ヤー文字(Y)」を与えました。
これらの文字は、光=造物主デミウルゴスであり、「クーニー」と名づけられました。
これらは「コーラン」の「あれ!(kun)」に由来する4文字です。

神は「クーニー」に、自分の援助者、神の命令の伝達者を作れと命じ、「Q」、「D」、「R」からなる「カダル」を創造しました。
これは「コーラン」の「行く末定める(qaddara)」に由来する3文字です。

「クーニー」と「カダル」を通した文字の結合によって、「7ケルビム(7大天使)」、「12の精神的なもの」、「6位階」が順次、創造されました。
神はこれらの存在に対して、「カダル」への服従を命じましたが、低い位階の「イブリース」が拒否しました。

「クーニー」の躊躇と、「イブリース」の拒否の意味とその結果については明言されませんが、一種の「堕落」という性質を持ったものであると想像されます。
この点は、これ以降のイスマーイール派の神話の中ではっきりと現れてきます。


カルマト派やアブー・イーサーの神話に登場する「7文字」は、バビロニア神学(占星学)的には「7光線」、宗教的には「天使」、哲学的には「知性」に相当するものでしょう。


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イスマーイール派の流れ [イスラム教]

イスマーイール派(7イマーム派)は12イマーム派以上に神秘主義的な性質を持っていて、スーパー・シーア派と呼ばれることもあります。
スーパー・シーア派は、ミスラ・マニ教の影響の濃く、アリーの教えよりも秘教の伝統を重視します。
12イマーム派が外面的な意味は秘教的な意味によって深められるべきと考えたのに対して、イスマーイール派などのスーパー・シーア派は秘教的な意味によって外的な意味は根絶させるべきだと考えたのです。

(イスラム教の諸派)
 スンニ派
シーア派
 ザイード派
 12イマーム(イマーム)派
 スーパー・シーア諸派
 イスマーイール
 (7イマーム)諸派
 ムスターリ派(ホジャ派・西方派)
 タイイブ派(ボフラ派・西方派)
 ニザール派(東方派)
 グラート諸派
 ドゥルーズ派
 アラウィー派(ヌサイリー派)


イスマーイール派は9Cにイラク、シリアで生まれました。
シーア派として反アラブ、反アッバース朝的性質を持っていて、特に急進的社会改革を求める政治的・軍事的集団でした。

12イマーム派と違い、アリーをイマームと見なさず、イスマーイールをイマームであり再臨するマフディ見なします。
しかし、イスマーイールの息子ムハンマドをマフディと見なすカルマト派が分派として、初期に分離しました。

10C初めにイスマーイール派はファーティマ朝を興します。
しかし、イスラム世界全体の支配は達成されず、終末も到来しませんでした。
そして、ファーティマ朝が安定期に入ると、イスマーイール派の思想は急進性を失くしました。
シャリーア(コーランに基づく律法)を廃棄しない、終末を無限に先延ばしにする、といった妥協が求められました。
また、ファーティマ朝では、イマームは常に地上に存在するとして、ファーティマ朝の正当性を主張します。

そのため、6代カリフのハーキムを神格化したドゥルーズ派や、ニザール派(東方派)などの分派を生みました。
一方、ファーティマ朝の主流派はムスターリー派(西方派)と呼ばれ、その後、イエメンのスライフ朝のタイイブ派に受け継がれます。


初期のイスマーイール派の思想は、グノーシス主義的、終末論的な神話です。
しかし、ファーティマ朝以降、徐々に新プラトン主義や、ファーラビー以降のペルシャ学派の哲学の影響を受け入れ、神話と哲学の融合がなされていきました。

ファーティマ朝の哲学者キルマーニーにおいては神話的側面が減少しましたが、イエメンのタイイブ派では再度、神話性が取り戻されました。

イスマーイール派の神話は、7人の預言者に対応する「7周期」の歴史観と、終末におけるマフディ(カーイム)による救済が、ほぼ共通した要素です。

そこに、堕落神話や秘教的な文字学などの要素が加わります。

また、イスマーイール派の大きな特徴は、聖職者のヒエラルキー組織を持っていることで、
そのヒエラルキーは、宇宙論的な根拠を持っています。


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スーフィズムの秘密言語と象徴 [イスラム教]

日本人には理解しにくいのですが、アラビア語やヘブライ語などのセム語やハム語系言語には独特の特徴があります。
自然にある単語が別の単語を暗示・象徴し、暗号とされるのです。

そのため、アラビア語を使うスーフィズムや、ヘブライ語を使うユダヤ神秘主義のカバラには、一種の秘密言語と言うべき特徴が存在します。
エジプト語やペルシャ語にも、似たものがあります。

その理由になる言語的特徴は2つあります。

一つはすべてのアルファベットが数字を表すのです。
ヘブライ語では400までですが、アラビア語は1000までの対応があります。
ペルシャ語はアラビア語と同じ対応です。

そのため、ある単語を数値に変換してから再度、文字に戻して単語にした場合、最初の単語は最後の単語に、暗号として入れ替えることができる、あるいは2つは同じ象徴的な意味を持つ言葉として等値することができると考えるのです。
これは「アブアド法」と呼ばれます。

この文字と数の置換法の正確は方法は、ある単語のすべてのアルファベット文字を数字に変換して足した価(多くは3桁になります)の、それぞれの位の数値を(3つの)アルファベット文字に置き換えて、その3つの子音で構成される単語を得るのです。

もう一つの特徴は、ほとんどの単語が3つの子音で構成されていて、同じ3つの子音で表わされる複数の単語は、1つの語根からなる派生語の関係になるのです。
この派生語は自然に連想的に結びつき合います。
さらに、同じ3つの子音を、順番を変えて構成される語根の派生語も、この連想関係に加えられて、結局、これら派生語全体で一つの相互連想的な意味群を形成するのです。

つまり、セム語には秘密言語という側面があって、言葉同士の間に、通常の連想・象徴的な関係以外にも、様々な連想・象徴関係を生み出します。
それによって、世界観の中に複雑で創造的な関連性を生み出したり、新しい解釈を生み出すことになるのです。

このようは秘密言語を背景にして、特定の言葉が別の象徴的意味を持ちます。
その意味は、神秘主義的な伝統の部外者には理解できないものです。

西洋の神秘主義の伝統で良く使われる言葉で、スーフィズム由来の言葉が多数あります。
西洋の神秘主義者も知らないのですが、スーフィズムに詳しい人なら分かるのです。
いくつか紹介しましょう。

・「黒」=「エジプト」、「賢い」
「黒魔術」は本来、エジプト魔術とか、知恵の術という意味だったのでしょう。
「黒い聖母」も、賢き聖母、エジプトの聖母(イシス)という意味だったのでしょう。
「賢者の石」は黒い石、つまり、メッカのカーバ神殿の黒石という意味だったのでしょう。

・「薔薇」=「行」、「十字」=「本質を抽出する」
「薔薇十字」は霊的な本質を顕現させる方法という意味だったのでしょう。

・「炭焼きたち(カルボナリ)」=「知覚者」
イタリアのカルボナリ党の本来の意味は、霊的な知覚者だったのでしょう。

・フリーメイソンが重視する「A」「B」「L」=「秘儀の導師」=「3つの瞑想のポーズ」(三角定規、水準器、ロープで現される)
もともと、テンプル騎士団やフリーメーソンは、東エルサレムにあるイスラム教の聖地、岩のドームに由来します。
岩のドームは元のエルサレム神殿(ソロモン神殿)の場所にあります。

・「バフォメット」=「意識の変容を経験した人間」=「智恵の頭」
バフォメットはテンプル騎士団が礼拝していた頭像で、後に悪魔像とされました。

 


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イブン・アラビーの神智学 [イスラム教]

イブン・アラビーは11C後半にスペインに生まれて、その後、東方に移住してシリアを中心に活動し著作を行いました。
彼は新プラトン主義的なファルサファを学ぶ一方、各地のスーフィーの教団から秘儀伝授を受けました。
また、インドのタントリストのように弟子を直接精神に導くことを行っていたヒドルという聖者からの導きをも得ました。

また、彼が少年の時に、当時老年となっていた理性的人間の代表とでも言うべき哲学者イブン・ルシドと体面した時の話は伝説となって語られています。
イブン・ルシドはアラビーが弟子になりに来たと思って、彼に霊感によって何を得たのかと尋ねると、アラビーは「イエスとノー。イエスからノーへの間で精神は物質から離脱し、頭は胴体から切り離されました」と答えました。
これが理性を超えた世界の重要性を主張する答えだと理解したイブン・ルシドは、体を震わせてこの返答を恐れたといいます。

彼はイスラム教にこだわることなく、すべての神秘主義的、宗教的伝統の本質的な同一性を主張しました。
また、彼は理性的にではなく、神的な霊感のもとで著作を行いました。
彼の抽象的な哲学の背景には、様々な霊的ヴィジョンがあるのです。
そのため、彼の著作では象徴的な表現が重要な役割を果たしています。

イブン・アラビーにとって神は「絶対的一性」です。
これは「(純粋)存在」、「秘中の秘」、「不可知」、「(人間にとって)暗闇」とも表現されます。

彼はプロティノス同様に、宇宙は神によって一瞬ごとに創造されつつそこに帰還する存在です。
宇宙の創造は「神の息吹」であって、まず、「アルファベット」で象徴される根源的な可能性として創造されるのです。
この段階の存在は一でありながら多であるので「矛盾的一性」、「相対的一性」と表現されます。
また、「有と無の中間」、「神の自己意識」、「第1の知」、「類の類」、「第1質料」、「永遠の原型」、「知性的存在」、「天使」、「神の名」、「ロゴス」とも表現されます。

これらの表現を見ると、この段階にはプラトン以来の主知的な傾向を感じますが、決して静的な普遍概念ではなく、動的な「根元的イメージ」としての側面を持つ世界なのです。
そして、彼が天使と呼ぶものは、諸能力と感覚器官に隠された力だと言います。
彼の中で、知性的・直観的なものと感性的・直感的なものは明確に区別されていないようです。

イブン・アラビーは想像力を3つのレベルで考えました。
一番下のレベルが人間の魂レベル。
個人的な魂に関するレベルです。
次が宇宙的なレベル。精霊が住み、天使が預言者に啓示するために下降してくる世界です。
そして、最も高いレベルが根元的なイメージの世界です。
彼は神の自己顕現は繰り返すことがなく、この世界のダイナミズムは「瞬間ごとにおける創造の更新」と考えました。

(イブン・アラビーの宇宙論)
絶対的一性=純粋存在
矛盾的一性=永遠の原型=根源的イメージ
⇒使徒性・預言者性・聖者性
宇宙的魂・イメージ
個人的魂・イメージ

ロゴスを完全な形で体現する人間は「完全なる人間(普遍的人間)」と呼ばれます。
これは人間と宇宙の原型であって、「原人間」、「ムハンマド的光」、「第1知性体」です。
そして法を与える「使徒性」、天使から啓示を受ける「預言者性」、神から知識を得る「聖者性」の3つを持ちます。

ギリシャ哲学では世界を「素材」と「形・性質」の観点から考えましたが、イスラム哲学ではイブン・スィーナー以降、「存在」と「本質」の観点から考えました。
「本質」は「…である」と表現されるもので、形相・性質をより広い観点で意味し、「存在」は「…がある」と表現されるもので、「あるということ」を意味します。

この区別は人間の思考によって生まれる概念的な区別だと考えられたのですが、では、人間の思考以前の実在をも指すのは「存在」と「本質」のどちらだろうか?
これがイスラム哲学と西洋のスコラ学で大問題となりました。
だたし、西洋スコラ学ではイブン・ルシド経由で「存在」と「本質」の区別は最初から実在的な区別だと誤解されて伝わりました。

スフラワルディーを含む多数派は「本質」が実在的だとしたのに対して、イブン・アラビーは「存在」を実在的なものと考えました。
「存在」は絶対的一性である神であって、また、様々に限定されて本質を伴う現われの実質なのです。

例えば「花が存在する」という文章があれば、普通、主語の「花」は「本質」で、述語の「存在する」は「花」のあり方を限定する偶然的な性質です。

ですが、イブン・アラビーは「存在」を重視するので、「存在」だけが常に主語になるべきだと考えました。
つまり、「花が存在する」ではなく「存在が花する」という表現の方が正しいのです。
一切を一なる「存在」が多様化する諸段階と考えるイブン・アラビーの思想は「存在一性論」と呼ばれ、現在のイランの正統派の哲学となっています。

一見、スフラワルディーとイブン・アラビーの思想は反対のようですが、スフラワルディーの「光」をイブン・アラビーの「存在」に置き換えると、2人の思想はほとんど同じ構造を持ったものになります。
ですから、イブン・アラビーの「存在一性論」はすぐにフラワルディーの「照明学」と結びつけられて継承されていきました。

特に、17世紀ペルシャのサファビー朝期には、「サファビー朝ルネッサンス」と呼ばれるようにイスラム独特の文化が栄え、神智学も発展しました。
その代表的な神智学者はイスファハーン学派のミール・ダーマード(本質重視派)やその弟子のモッラー・サドラー(存在重視派)らです。
その後も、19世紀のサブザワーリーといった神智学者によって継承・発展させられ、現在に至る生きた思想となっています。


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スフラワルディーの神智学 [イスラム教]

イブン・スィーナーはギリシャ哲学を継承したファルサファ以外にもイスラム独自の神智学の著作も表わしていましたが、これらは伝わっていません。
イスラムでは神智学、神秘主義哲学を「イルファーン」あるいは「ヒクマット(叡智)」と呼びます。

また、イスラムでは「東方神智学」と言うようによく「東方」という表現が付けられます。
「東方」というのは地理的なものではなく、太陽が昇って光が現われる方向という象徴的な表現で、純粋な形・性質だけの天使的な世界を表わします。
ここでは宇宙は象徴的な言語によって修行者に語りかけます。
シーア派同様、象徴的な霊的想像力、創造的な想像的知性の領域を重視することがイルファーンの特徴です。
このイルファーンの基礎を作ったのが12世紀のスフラワルディーとイブン・アラビーです。

スフラワルディーは11Cのペルシャの神智学者で、「照明学派(イシュラーク派)」の祖です。
彼は啓示によって著作し、あらゆる宗教、哲学、神秘主義の伝統を統合しようとしました。
特に古代ペルシャの智恵(ズルワン主義、ミスラ教、マズダ教)の復活を重視しました。

彼によると、神智学的な智恵はまず、ヘルメスらに与えられ、その後はペルシャ(ゾロアスター、バスターミー、ハッラージなど)とエジプト、ギリシャ(ピタゴラス、プラトンなど)の2系統に分かれて伝えられてきました。
スフラワルディーはこの2系統の統合者なのです。
彼によれば、イブン・スィーナーが十分な東方神智学を生み出せなかったのは、ペルシャの古代神智学を知らなかったからです。

彼はゾロアスター教の霊性を受け継いで宇宙を様々な強度を持つ「光」の階層であると考えました。
そして神を「光の光」と表現しました。
また、このアフラ・マズダ的な「光」の他方には、アフリマン的な「闇」があります。
ですが、彼にとっての宇宙は、光である形・性質と闇である素材・混沌が合成されて作られるものではありません。
光は強度を持った創造的な運動体であって、闇は単なるその欠如なのです。

ギリシャ哲学のところで、プラトン、アリストテレスらのアテナイ哲学が「形・性質の哲学」であるのに対して、オリエント的なソクラテス前派やストア派が「生成の哲学」であると比較しましたが、スフラワルディーも後者に当てはまるのです。
 
また、彼はゾロアスター教(ズルワン・ミスラ教を含む)の天使学を受け継ぎました。
新プラトン主義のヌースの世界は、彼にとっては天使(大天使)の世界です。
そして、天使に縦(経度)と横(緯度)の2方向の系列を考えました。

スフラワルディーの宇宙論によれば、まず、神から天使の縦の階層の世界が生まれます。
最上部の光は「至近の光(至大の光)」と呼ばれます。
これから生まれる縦の系列は大天使の女性的・素材的な側面で、「母達の大天使」と呼ばれます。

上位の大天使が下位の大天使を順に生み出しますが、この時、光が徐々に強度を弱めていくのです。
この縦に貫く光は「勝利の光」と呼ばれます。
これは上位と下位の架け橋であって、ヴェイルの働きをします。
また、縦の序列からは「恒星(天)」も生まれます。

一方、大天使の横の系列の世界(多様性)が生まれます。
これは多数の恒星としての知性体であり、宇宙の原型としての働きをするイデア的存在で、「種の主達」とも呼ばれます。
ですが、これは普遍概念ではなく光として実体を持つ個体なのです。
そして同時に、これらはゾロアスター教の大天使アムシャ・スプンタでもあります。

つまり、プラトン的なイデア論とゾロアスター教の天使論が統合されているのです。
能動的知性や聖霊もここに位置するとされました。

また、これらは魔術的存在でもあって、下位の世界のイメージや物質的個体と象徴的に関連するのです。
つまり、スフラワルディーは主知的なプラトン、プロティノスだけではなく、想像力や象徴を重視する魔術的な『カルデア人の神託』やイアンブリコス、プロクロスの影響を強く引き継いでいるのです。

次に、横の系列からその下位に「天使」が生まれます。
これは「主長的光(光の司令官)」とも呼ばれます。
この天使は人間の本来の霊魂、つまり「理性魂」でもあります。
横の系列の大天使が種的存在であるのに対して、天使は個的存在です。

また、恒星天の下に「中間的な世界」が生まれます。
これは、「吊るされた映像の世界」とも呼ばれる根源的なイメージの世界、象徴的な世界です。
これは感覚世界とイデア的世界の中間にあるのですが、「悪の闇の世界」とも表現されます。
でも、この世界は感覚の世界から解き放たれた想像力の領域で、人間が霊的世界に至るにはこの世界での象徴的な旅を通って行きます。
この世界には、克服すべき対象も現れる煉獄的側面があるので、「悪の闇の世界」と呼ばれることもあるのでしょう。

このように、スフラワルディーはイブン・スィーナーの宇宙論に重要な修正をしました。
イブン・スィーナーが霊的、知性的存在を惑星天以上の世界としたのに対して、スフラワルディーは恒星天(と中間世界)以上に位置づけたのです。

また、恒星が多数存在することと関連させて知性体に横の系列を考えたのです。
そして、イブン・スィーナーが直観的知性と直感的・想像的知性を階層を貫く別系列と考えたのとはと違って、スフラワルディーは直観的知性(と直感的知性)の下に創造的想像力を置いたのです。
ですが、すでに書いたように、直観的知性には象徴的な側面があって、創造的想像力とも連鎖するのです。

(スフラワルディーの宇宙論的階層)
神=光の光
大天使(至近の光)
横の序列(原型的側面)
種の主達
縦の系列 (素材的側面)
毋達の大天使(勝利の光)
恒星
恒星天
天使・主長的光・理性魂
中間世界(創造的想像力の世界)
動物魂
惑星天
植物魂
鉱物
月下世界・地上


最後に物質的な2つの世界です。つまり、諸惑星天の世界と、月下の地上世界です。
諸天は縦の序列が物質化して生み出されます。
通常、物質世界の4元素は湿・乾/重・軽といった性質から語られますが、スフラワルディーは光の透す度合いとして語ります。
彼にとってすべては光との関係が重要だからです。

イブン・スィーナーも秘儀伝授をテーマにする象徴的物語を表わしていましたが、スフラワルディーはイブン・スィーナーのこの物語が終わるところから始まる物語を表わしました。
ここには様々なオリエントの伝統的な象徴が現われます。
彼は人間の霊魂の西方(物質的宇宙)への流刑と東方(大天使の世界)への帰還を語りました。この象徴的物語は中間界で体験されるものです。

スフラワルディーは、人間は物質的に受肉するに時、その霊魂の天使的・理性的な中核が2分されて、一方が個人の守護天使として天使界に残ったと考えました。
ですから、人間の完成はこの守護天使と合体しなければならないのです。
ある物語では、感覚世界を象徴するカーフ山の頂に昇り、そこにある根元的イメージ界の象徴であるエメラルドの街で天使の探究が始まります。
天使は永遠の青年の姿(ミスラ)で現れます。

スルラワルディーは異端宣告を受けて殉死しましたが、彼の神智学は照明学派として受け継がれ、次に紹介するイブン・アラビーの神智学、スーフィズム、シーア派とも結びつけられていきました。
また、ペルシャからインドに移住したアーザル・カイヴァー率いるマズダ教(パルシー教)徒達にも現代に至るまでの絶大な影響を与えました。


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スーフィズムの意識の階梯 [イスラム教]

スーフィーは修行の進展によって意識が5層の深まりを体験し、また、7つの発展段階を進むと考えます。
この2つは関連していますが、まず、これを紹介しましょう。

まず、5層の意識ですが、これは姉妹サイト「世界の瞑想法」で紹介したズィクルの修行によって見るヴィジョンとも対応してるので、ご参照ください。
つまり、普遍的なヴィジョンが意識の次元を反映するのです。

最も下の層は、感覚的・欲情的段階の「ナフス・アンマーラ」です。
これは第2章のヴィジョンで言えば穴の中にいる状態です。

2番目は批判や倫理と関係した合理的な段階の「ナフス・ラウワーマ」。
これは太陽が現われた状態。

3番目は感情や理性の働きがなくなって寂滅と表現される平安な心の段階の「ナフス・ムトマインナ」。
これは「カルブ」とも言い、観想に集中する段階です。
これは緑の光が現われて穴の外に出る状態。

4番目は神的な領域で光に溢れた段階の「ルーフ」。
これは光の円から光の人が現われる状態。
これは神と人との対話的段階でもあります。

そして最後が至高の段階「シッル」。
これはイメージを超えて神が神として一人で語る段階です。

魂の7つの発達段階は、詳細は不明ですが、以下の通りの名前がつけられています。
第1段階のすでに紹介した「ナフス・アンマーラ」ですが、これは堕落した命令する魂と表現されます。
第2段階も同じく紹介した「ナフス・ラウワーマ」で、批判的な魂と表現されます。
第3段階は「ナフス・ムルハーマ」で、霊感を吹き込まれた魂です。
第4段階は先に紹介した「ナフス・ムトマインナ」で安静な魂と表現されま。
さらに、第5段階が「ナフス・ラディーヤ」で充足した魂、。
第6段階が「ナフス・マルディーヤ」で人を充足させる魂。
第7段階が「ナフス・サフィーヤ・ワ・カミーラ」で純化され完成した魂と表現されます。

(スーフィーの魂の7段階と意識の5層)
ナフス・サフィーヤ・ワ・カミーラ:純化され完成した魂
 
ナフス・マルディーヤ:人を充足させる魂
シッル:神の独白の層
ナフス・ラディーヤ :充足した魂
ルーフ:光・神人対話の層
ナフス・ムトマインナ:安静な魂
観想・寂滅の層
ナフス・ムルハーマ:霊感を吹き込まれた魂
 
ナフス・ラウワーマ:批判的な魂
理性・倫理の層
ナフス・アンマーラ:堕落した命令する魂
感覚・欲情の層

また、スーフィズムでは理性的段階と神的な絶対無の段階の中間に「アーラム・アル・ミサール」と呼ばれる根源的なイメージの段階があると考えます。
この根元的なイメージは「創造的想像力」と呼ばれることもあります。
この段階は上の5層で言えば、第3層になるのだと思いますが、先に書いたようにこれがそれぞれの層を指し示すイメージを現わすこともあるのです。
また、この段階は単なる意識の層ではなくて、宇宙論的に存在する段階だと考えられています。

また、別に意識の発達段階を7段階ではなく4段階で数える考え方もあります。
これは「4つの旅」と呼ばれます。

この第一段階は「消滅(ファナー)」と呼ばれ、いきなりですが、神と合一して他のすべてが消滅する体験の段階です。

第2段階は「永続的なもの(バカー)」と呼ばれ、合一の後で再度、様々な現れを体験し、現実世界に戻る段階です。
この段階は、世界を以前のように静的で主観的にではなく、動的で客観的に認識できる段階で、霊的な教師資格を有すると考えられます。
このように、スーフィズムでは単なる神秘体験ではなく、世界の霊的な本質を客観的に認識することを重視します。

第3段階と第4段階は特に名前はありません(分かりません)が、第3段階は、地域や文化の限定を脱する段階です。
どんな文化、どんな宗教に属する相手にも霊的な教えを与えることができる段階です。
イスラム圏が大帝国であり、様々な文化圏を含んでいることを背景にした発想です。

そして、第4段階は、死後の導きを可能にする段階と表現されていますが、詳細は不明です。


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スーフィズム [イスラム教]

8世紀頃、イスラム教徒は各国を征服して支配領土を広げて、それに伴って物質的な繁栄による享楽を受け入れるようになりました。
これに反発して、イスラム教本来の禁欲的な姿勢に戻ろうとする傾向や形式主義に反対する傾向の潮流が生まれました。
当時、シリアには神秘主義的傾向を持つ異端のキリスト教徒がいましたし、アラビアの砂漠地帯にも禁欲的な隠遁生活を送るキリスト教修道士がいました。
ですから、彼らの影響を受けて、禁欲・苦行を行なう者が現われたのです。

彼らを「スーフィー」、後に形成されていった彼らの思想を「スーフィズム」と呼びます。
ただ、「スーフィー」という呼び方は西洋の学者が使うもので、アラビア語では「タサウッフ」や「ファキール(貧者)」、ペルシャ語では「デルヴィーシュ(貧者)」などと呼ばれます。

スーフィズムはイスラム教の正統派からは異端視をされてきましたが、11世紀ペルシャ出身の哲学者、ガザーリーのスーフィズムへの傾倒によってスーフィズムは半ば公認されるようになりました。
また、12C頃からは、聖者を教祖として教団化し、民衆化していきました。
ペルシャでは神秘主義的表現が詩の主要な形式になって、ルーミーなどのスーフィーによる名作詩が多数作られました。

スーフィズムは本来は禁欲・苦行の神秘的な実践道なのですが、やがてミスラ・マニ教やシーア派神学、神プラトン主義系のイスラム哲学など、様々な思想の影響を受け入れて独自の神智学を生み出していきました。
スーフィー達は、スーフィズムには教義は存在せず、すべての宗教の核心であると考えています。
そして、その核心である神秘的な教えは普遍的なものであり、古代から連続しつつ進化していると考えています。

スーフィズムの基本的な特徴は、「ズィクル」と呼ばれる修行法と、「タワックル」と呼ばれる姿勢です。
「ズィクル」は聖句を唱えながら行なう瞑想の修行です。
「タワックル」は神に対して絶対的な帰依を行なって、自己の意志を放棄し、一切の運命を受動的に受け入れる姿勢です。

初期のスーフィズムはシリア・キリスト教の影響を受けて、神との擬似恋愛的な交わりを目指しました。
つまり、人格的な神と人の浄化された霊魂が結婚に比喩されるような一体化を行なうのです。この時、神と人とは限りなく近づきます。「私なのかあなたなのか分からない」というようなスーフィー達がこの体験を語る語り口は、「ムナジャート(恋の睦言)」と呼ばれます。
9世紀にバダッドで活躍したペルシャ系のジュナイドや、その弟子で9~10世紀のペルシャ出身のハッラージはこれを突き詰めた代表的なスーフィーです。

スーフィズムは8世紀末には新プラトン主義の影響を受けて、哲学的な反省もなうようになり、やがてイブン・スィーナーの宇宙論も受け入れました。

また一方で、9世紀末にはインド思想の影響も受けました。
特にイーラーンシャハリという人物は、インドに留学してインドにギリシャ思想を伝えるかたわら、インド思想を学んでこれをイスラム世界に伝えました。
彼らの活躍によってインド思想がイスラム世界にも知られるようになったのです。
その結果、スーフィーの中には、インドのサーンキア思想やヴェーダーンタ思想の影響を受けて、人格神との恋愛的合一を越えた、抽象的な神への帰一を主張する者が現れました。

9世紀のペルシャ人のバスターミーはこの代表的なスーフィーです。
(先に紹介したジュナイドもサーンキアの、ハッラージはヴェーダーンタの影響を受けています。)
バスターミーはサーンキア哲学がプルシャから不浄な要素をはぎとるように霊魂の浄化を語り、ヴェーダーンタ哲学がアートマンとブラフマンの同一性を主張するように霊魂の神化を語りました。
「我こそは絶対者」というような、スーフィーが人格を超えて神格となって発言する時の語り口は「シャタハート(酔言)」と呼ばれます。

バスターミーとハッラージの比較は、人格神と人間の断絶を特徴とするキリスト教・イスラム教の神秘主義と、抽象的な神への帰一を特徴とする新プラトン主義やインド神秘主義との違いについて考えさせてくれます。
バスターミーは霊魂の浄化の過程で見たヴィジョンを次のように語っています。
「神性の垂れ幕の向こう側に進み入ると、玉座は空だった。
その上に身を投げ出してあなたを求めると、また幕が巻上げられ、私は見た、私が私であることを、私だった」。

つまり、バスターミーは最後に自分自身が神となって、神が神としてバスターミーを通して自己認識をしているのです。
そしてここには、人格神と人間の関係が神への帰一にいたる途中に、「神の不在を見る」という体験があるのです。
この神の不在はキリスト教神秘主義の語る「神の闇」と似たものかもしれません。

ところで、抽象的な神への帰一の後での、人格神と人間の関係を考えることもできます。
ジュナイドはこの関係を神への帰一の体験よりも重視します。

  人格神との恋愛的合一(結婚):ムナジャート(恋の睦言・対話)
     ↓
  神の不在を見る 
     ↓
  抽象的一者への帰一:シャタハート(酔言・神の独白)
     ↓
  抽象的一者への帰一の後の人格神との恋愛的対話

また、スーフィズムでは、人間の心は機械のように習慣づけられたものを無意識に繰り返していると考えます。
それを解き放つための方法として「停止(休止)の行」があります。
何か行動している時に、旧に停止の命令を受けると、その時の心身の状態をストップさせます。
そして、その時の心のあり方を観察します。
そして、普段なら無意識に動いていた心の動き、連想、思考の癖を意識し、それを解き放つようにします。

スーフィズムでは、身体のいくつかの部位に意識を集中して、知覚を活性化させる修行も行います。
身体部位には次のような対応関係があります。

 ・丹田(太陽神経叢):自我、白色
 ・心臓:心、黄色
 ・胸の右:霊、赤色
 ・胸の中心:深い近く、緑色
 ・額:直観、黒色

インドのチャクラの象徴体系や、ユダヤのカバラの身体象徴体系と、考え方が似ています。

 

 


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イスラム哲学とイブン・スィーナー [イスラム教]

イスラム世界ではギリシャ哲学を継承した哲学を「ファルサファ」(「フィロソフィア」のアラビア語訛)と呼びます。
ファルサファの中心思想は、新プラトン主義化されたアリストテレス哲学です。
プロティノスやプロクロスの書の要約書がアリストテレスの著として出回っていたため、新プラトン主義とアリストテレス主義が混合した形で伝えられたのです。
こうして、理性的な自然学と神秘主義的な流出的階層宇宙論を合わせ持つファルサファと、啓示宗教であるイスラム教の統合が目指されたのです。

主なファルサファの哲学者は、9世紀のアラビア人のアル・キンディー、10世紀のトルコ人のファーラビー、10~11世紀のペルシャ人のイブン・スィーナー(ラテン名アヴィセンナ)、12世紀スペインで活躍したイブン・ルシド(ラテン名アヴェイロス)などです。

まず、ファーラビーの哲学とイスマーイール派の宇宙論を受け継ぎながらファルサファを最初に体系化し、形而上学的な宇宙論を展開したイブン・スィーナーの世界観を簡単に紹介しましょう。
彼の宇宙論はスーフィズムやキリスト教世界にも影響を与えました。

イブン・スィーナーは神は他に依存しない「必然的なもの」であるのに対して、被造物は他に依存する「可能的なもの」であると考えました。
また、アリストテレスの考えと同様、神は第一原因であって純粋現実態です。  

宇宙は始まりがなく永遠な存在です。
まず、第一存在である神が自分自身を眺めることで第1知性体を生み出します。
第1知性体は大天使でもあります。
知性体は、まず上位の存在の本質を凝視し、次に自分自身が上位の存在の本質を受け継いでいることを凝視し、最後に自分自身が上位の存在を限定していることを凝視するという3重の認識を行ないます。
これは新プラトン主義の「止留/発出/帰還」にほぼ対応します。

こうして、次々と流出的に下位の存在を3つの面で生み出していきます。
3つの面というのは、知性体と天体霊魂、天体を構成する素材です。
この考え方は新プラトン主義とは違います。

第1知性体は第2知性体とその場所である第1天とその天体霊魂を生み出します。
このようにして次々と、第3知性体と第2天とその天体霊魂、第4知性体と第3天とその天体霊魂、などが順に生み出されていき、最後に第10知性体と第9天とその天体霊魂が生み出されます。

この第10知性体は月下の世界に形・性質を与えこれを創造します。
また、人間に抽象的な認識を与える存在です。
そして、これが能動的知性(アリストテレスの言う「一切をなす知性」)あって、また、聖霊と啓示の天使ジブリール(ガブリエル)に対応する存在なのです。

地上の物質は4大元素によって構成されますが、その混合の完全さによって世界霊魂が植物魂、動物魂、理性的魂を与えます。
能動的知性は一なる存在で、人間の外から働きかけて可能性の状態にある人間の知性を育てて、人間を完成に導きます。
預言者は完成した人間なのです。

イブン・スィーナーの宇宙論は、新プラトン主義、アリストテレス哲学といった哲学的宇宙論と、ミスラ教やイスマーイール派のカルデア系宇宙論を統合したものです。
そして、宇宙の諸天球とヌースの神的世界を分けて考えないが特徴的です。

また、上に書いたように彼の宇宙論の大きな特徴は、流出的な創造が知性体・天体霊魂・素材(天球)という3つの側面で行なわれていることです。
では、この知性体と天体霊魂とはどう違うのでしょうか。

アリストテレスが各天球に知性体を考えていたように、イブン・スィーナーの知性体はギリシャ哲学のヌースとその系列に相当するものです。
これは霊的知性(直観的知性)を持つ存在で、「認識の天使」とも表現されます。
一方、天体霊魂は惑星神であって一般の「天使」なのですが、これらは霊的感性(直感的知性)、あるいは物質世界から解き放たれた創造的な想像力を担います。

ですから、イブン・スィーナーの宇宙論は「哲学」と「天使学」、つまり直観的知性と直感的知性を統合したものです。
第10知性体が能動的知性であって、同時に啓示の天使である点にもこの両者の統合が現われています。
また、素材に関しても各天球に固有の素材性を階層状に考えているのでしょう。

イブン・スィーナーが知性体と天体霊魂に階層性を考えたことは、理性と感性に奥行の諸次元を考えたのだと解釈できるでしょう。

最後に、アリストテレスの考える「一切をなす知性」はあらゆる形・性質が同時に存在する神そのものの知性なのですが、イブン・スィーナーの「能動的知性」は人間に形・性質を与えるような知性で、月の天球に相当する段階に存在するような低いものに変わっています。
これと関係するからか、彼は神との合一や神の直接の認識を認めず、第1知性体・大天使との出会いを求めました。

イブン・スィーナーの宇宙論はイスマーイール派の宇宙論と似ています。
イスマーイール派では天使は知性体の生み出す現れと考えます。
そして、第1知性体 (大天使)を宇宙霊=聖霊=至高の智天使=ミーカーイル(ミカエル)と考え、「アッラーの筆」と呼ぶこともあります。
これはミスラでもあります。

宇宙霊は その分身であるイマームを送ります。
第2知性体(第1天体霊魂)を宇宙魂=天上のアダム (完全なる人間)と考え、天命(天上にある石の書)と呼ぶこともあります。
これはアフラ・マズダでもあります。
ちなみにイブン・スィーナー版の『ムハンマドの夜の旅』でも宇宙論と天球に対応した天使が語られますが、この項で紹介したもととはなぜか異なります。

(イブン・スィーナーの宇宙論)
神(必然的なもの)
<知性・認識の天使の系列>

<想像力の天使の系列>

<素材の系列>
第1知性体
大天使
 
第2知性体
第1天体霊魂
第1天(透明な天空)
第3知性体
第2天体霊魂
第2天(恒星)
第4知性体
第3天体霊魂
第3天(土星)
第5知性体
第4天体霊魂
第4天(木星)
第6知性体
第5天体霊魂
第5天(火星)
第7知性体
第6天体霊魂
第6天(太陽)
第8知性体
第7天体霊魂
第7天(金星)
第9知性体
第8天体霊魂
第8天(水星)
第10知性体(能動的知性)
第9天体霊魂(ジブリール)
第9天(月)
月下界

 
11世紀には神学の第一人者で、哲学の教養のあったペルシャ人のアル・ガザーリーが、理性的な認識は神的な世界には適用できないとして哲学的神学を批判し、また内的な体験を重視して形式的な儀礼主義を批判しました。
そして、スーフィー的な隠遁生活を送りました。
彼の影響は大きく、イスラム世界ではこの後ファルサファは衰退しました。
 
ですが、イスラム世界の中で孤立していたスペインだけは例外でした。
イブン・ルシドはファルサファの最後を飾る人物で、理性主義的な性格を持っていて「アリストテレスに帰れ」をスローガンにしていました。
彼は『クルアーン』などを比喩的に解釈しつつ、理性と信仰の一致を主張しました。
彼は宇宙は時間と共に一瞬毎に創造されていると考えました。

また、哲学に励んだ人間は死後、能動的知性に帰一するとしました。
ですが、彼の考える能動的知性は直観的・霊的なものではなく、理性的なものでした。
先にも書いたように、彼の哲学はイスラム世界では継承されませんでしたが、キリスト教世界に受け継がれて、理性を重視するスコラ神学を生み出しました。
西洋の思想はこれを転換点として理性重視へと傾いて現代に至りますので、イブン・ルシドが西洋の理性主義の原点になったとも言えるのです。


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理性と信仰の対立 [イスラム教]

イスラム教には本来、理性的な性質はありませんでしたが、やがて理性によって法的な問題を解決したり、神学的な問題を扱ったりする傾向が現われました。
12世紀以降はイスラム世界では理性を重視する立場は衰退しましたが、イスラムの理性主義的思想はキリスト教世界に受け継がれました。
イスラム哲学について紹介する前に、哲学と宗教をめぐる問題について書いてみましょう。

ユダヤ、キリスト、イスラム教の神学や哲学には、理性(その代表であるアリストテレス哲学)と信仰(啓示された聖典である聖書や『クルアーン』など)のどちらを重視するかという大問題があります。
それは、この2つの世界観には矛盾があるからです。

この矛盾が最も現われる問題は、宇宙は時間的に無限か、人間に神的な知性があるか、終末の復活はあるかという3つの問題です。

聖典では世界は神によって無から作られたもので時間的に始まりがあります。
一方、アリストテレスの自然学では世界に始まりや終わりはなく無限です。

また、一般のユダヤ、キリスト、イスラム教の考えでは人間と神には隔たりがありますが、前章で紹介したようにアリストテレスは「能動的知性」という神的な知性が人間にも可能だと考えました。

また、聖典では終末に魂は肉体を得て復活しますが、アリストテレスによれば死後、魂と肉体は分離してその後は結びつくことはありません。

理性と信仰の矛盾に対する立場には大きくわけて3つの立場があります。
一つは、理性と信仰が一致すると考える立場です。
この立場はアリストテレス哲学と聖典は矛盾しないと無理やり解釈します。
もう一つは信仰を重視して、理性は形而上学的な問題には立ち入ることができないとする立場です。
最後は理性を重視して、啓示は間違いであって、民衆向きの教えであると考える立場です。

実際には、理性と信仰に加えて神秘主義的な直観的知性や想像的知性をどう考えるかという問題が加わってさらに複雑になります。
こういった問題に対してユダヤ、キリスト、イスラム教の神学者や哲学者は、異端宣告による処刑を恐れながら様々な立場をとってきました。
 
 


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