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偽ディオニシオスと天使の位階 [古代ユダヤ・キリスト教]

教父哲学を締めくくる重要な人物であるディオニシオス・アレオパギテス(偽ディオニシオス)は、プロクロスの影響を受けながら新プラトン主義をキリスト教化して、また、独自の天使論を生み出したことで後世に影響を与えました。
彼は5-6Cのシリアの教父だと推測されていますが、高名なパウロの弟子であるディオニシオス・アレオパギテスを名乗って著作して、中世を通じてこれが信じられたので、彼の著作はとても重視されました。
そして、逆に新プラトン主義の方が彼の影響を受けたのだと考えられました。

偽ディオニシオスが初めて階層という意味の「ヒエラルキア」という言葉を使いました。
彼は世界は順次上位の存在から下位の存在が生み出されたのではなくて、すべては直接神によって創造されたと考えました。
ですが、すべての存在はその階層の能力に応じて神の似像となり、神を目指すのです。

また、その階層の能力に応じて他者を照らし(神を伝えて神に導き)ます。
そして、階層のすべては神の象徴であって、象徴を超えた表現できない神へと導きます。

また、偽ディオニシオスは中期プラトン主義のアルビノスの「否定の道/上昇の道/類比の道」をキリスト教化して、「否定神学/肯定神学/象徴神学」を位置付けました。
興味深いのは、肯定神学で神を表現する場合、プラトン主義同様、「善」、「存在」、「生命」、「知性」などがまず考えられるのですが、それぞれが3段階で考えられている点です。
つまり、例えば「先存在(存在以前の存在)/存在そのもの/存在するもの」という3段階があるのです。

偽ディオニシオスは「3」を聖数として、3分割を3重に考えて位階を考えました。
彼にとってこの「3」は「完成/照明/浄化」という性質を持っています。
3分割の最上部は「完成」、中央は「照明」、最下部は「浄化」という性格を持つのです。

これはプロティノスの「合一/観想/浄化」をキリスト教化したものです。
まず、被造物を新プラトン主義の「霊的直観/魂/感覚界」の3位階に対応して「天使/人間/事物」に分け、それぞれを「天使の位階/教会の位階/律法の位階」として考えました。
そして、それぞれの位階はさらに3×3の9段階に分けられます。

新約聖書には天使に関してはほとんど記述されていません。
キリスト教では4世紀に天使の崇拝が偶像崇拝として禁止されましたが、8世紀に東ローマ世界世界では大天使の崇拝だけが許されました。
偽ディオニシオスが「天上位階論」で天使論を体系化したのはちょうどその間の6世紀頃です。
彼が天使の階層を体系化したのは、異教のダイモン信仰に対抗するためでしょう。

偽ディオニシオス以前にすでに9種類の天使が数えられていました。
また、ルシファーの堕落(多分、アフリマンの堕天やシリアの明けの明星の神の堕落の神話がオリジナル)、堕天使と良い天使の2分、天使の知的性質などが論じられるようになっていました。

偽ディオニシオスは天使を肉体を持たない知的存在だと考えました。
天使は新プラトン主義のヌースが「有/生命/知性」に3分割されることに対応して、「存在/力(軍)/知性」の3つ階層(側面)に分けられます。
そして、おそらく新プラトン主義でそれぞれの階層が、「限定/非限定/混合」に3分割されることに対応して、さらに3分割されます。

偽ディオニシオスの天使の位階は上から順に以下の通りです。

(偽ディオニシオスの天使の位階)
完成
完成

存在
完成
天使の位階
熾天使(セラフィム)
照明
智天使(ケルビム)
浄化
座天使(トロウンズ、オファニム)
照明

完成
主天使(ドミニオンズ)
照明
力天使(ヴァチューズ)
浄化
能天使(パワーズ)
浄化

知性
完成
権天使(プリンシバリティーズ)
照明
大天使(アークエンジェルズ)
浄化
天使 (エンジェルズ)
照明
 
 
教会の位階
 
浄化
 
 
律法の位階
 

 

これらのうち座天使、主天使、力天使、能天使、権天使はパウロに、熾天使、智天使、大天使、天使は旧約聖書に由来します。
熾天使は「火を発する者」、智天使は「知恵を発する者」、座天使は「玉座」という意味を持ちます。
通常、熾天使は1(4)頭6翼で、智天使は4頭6(4)翼、座天使は多くの目を持った車輪の姿をしています。
メタトロン、サンダルフォンは熾天使です。

下の3位階の天使は戦士の姿をしています。
ミカエル、ガブリエルラファエル、オウリエルらは通常、大天使と考えられます。

 


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教父哲学と神の闇 [古代ユダヤ・キリスト教]


キリスト教の神学的な哲学は新プラトン主義をキリスト教化する形で成立しました。
古代のキリスト教神学は、一般に教父哲学と呼ばれます。

主要な思想家(教父)は、3世紀アレキサンドリアのオリゲネス(彼は元アンモニオス・サッカスの弟子でした)、4世紀トルコはニュッサのグレゴリウス、4-5世紀イタリアのアウグスティヌス(彼は元マニ教徒でした)、5-6世紀シリアのディオニシオス・アレオパギタ(偽ディオニシオス)らです。
彼らの思想には違いもありますが、総体としての教父哲学を紹介しましょう。

キリスト教やユダヤ教、そして教父哲学の特徴は、まず、神が新プラトン主義の一者のような抽象的な存在ではなくて、「人格神」であることです。
ですから、霊的知性界も神の「思考内容」であって、神の語る「言葉(ロゴス)」なのです。

第2に、神からの啓示をもとにした「聖書」は絶対的なもので、その解釈が重視されました。

第3に、世界は神によって「無から創造」されたものなので、神と被造物の間に絶対的な「断絶」があるのです。
プラトンやプロティノスにとっては霊魂の本質は一者と同質か連続的なものなので、霊魂が自らを浄化して上昇し、自分自身であることによって、あるいはその延長で一者を映すことで合体すると考えました。
ですが、教父にとっては霊魂は神と断絶しているので、霊魂が上昇すると、霊魂は神との断絶を体験するのです。
そして、神そのものは絶対に知ることができないのです。

これは、神秘主義の否定とも考えられますが、接することのできない神と密接な関係を持つという、逆説的に表現される神秘的な体験が行われていたとも言えます。
また、神は言葉で表現することができないとする「否定神学」は、キリスト教神秘主義の伝統となりました。

「人格神」や「聖書の重視」、「無からの創造」という教義は、ユダヤ教やイスラム教とも共通する点です。
キリスト教独自の教義は、父なる神が子なる神「キリスト」として肉体に宿って、つまり「受肉」して地上に降りてきたという教義です。
これが第4の特徴です。
そして、このキリストとは「ロゴス」なのです。

新プラトン主義では霊魂が一者を「愛(エロス)」して上昇を行うことが重要であったのに対して、キリスト教では神が積極的に被造物を「愛(アガペー)」して下降して「恩恵」を与える存在なのです。
これは「照明」とも表現されます。
ですから、キリスト教は新プラトン主義に比較して現世肯定的です。
下降してくるキリストとロゴスは「花婿」、受け入れる教会と個人の霊魂は「花嫁」と表現されます。

旧約聖書では、モーゼが神と契約をする前に、神はシナイ山で濃い雲におおわれて現れ、モーゼはその中に入って闇を見ます。
これは神の認識には雲や闇として表現される否定的な体験が必要であると解釈されました。
また、契約の後で、モーゼが神にその姿を直接見たいと懇願すると、神はモーゼを岩の裂け目に入れ、モーゼの前に現れた時にはモーゼを手でおおい、その後で後ろ姿だけを見せます。
これは、岩の裂け目がキリストであって、後姿しか見れないことが神との断絶を表現していると解釈されました。
(先ほど述べたように、ユダヤのメルカーバー神秘主義では直接に神の顔を見ます。)

旧約聖書によれば人間は神の「似像」として創造されました。
これは新プラトン主義でも同じですが、新プラトン主義では魂の中に神性が潜在的に内在するのに対して、キリスト教では被造物である人間の魂は神、キリストと断絶していてこれを認識することはできません。
ですから、人間の魂は磨かれた鏡のように浄化されることで、本来の神の「似像」となって、ロゴスの「似像」を映すのです。
こうして、間接的に神と接するのです。

プロティノスと同じようにすべての認識を捨てさって神に近づくのですが、教父達は逆に、神が直接は知りえないこと、神との隔たりとして神を体験します。
この体験は「神の闇」と表現されます。
この神の闇の中で、知りえない神に限りなく近づくのです。

これはグノーシス主義の神話の原父=「深淵」を思い起こさせます。
ですが、グノーシス主義の「深淵」はあくまでも神性の表現であるのに対して、「神の闇」はまずヌース段階の認識を捨てるということの表現で、また、神の認識不可能性=断絶の表現です。
ですから、これはグノーシス主義の「境界」に近いかもしれません。

先ほどキリスト教は神そのものを認識できないとしている書きましたが、前の項でギリシャ正教は神を認識できると書いたことと矛盾しているように見えます。
実は、ギリシャ正教では神を光として見ることができることと、闇としてしか見れないことの両方を認めるのです。
この矛盾は14Cにグレゴリオス・パラマスによって、神の「本質」は見れないけれど、その「働き」は見れるのだとして理論化されることになります。
そして、「神の闇」は単純な光の反対の闇なのではなくて、光を生むような闇、光の過剰によって目がくらむような闇、つまり「光=闇」と表現されるような矛盾的に表現される闇なのです。

一般にキリスト教以外の神秘主義で、絶対存在に近づいた時の体験が「闇」と表現されることはありません。
キリスト教教父のこの神秘体験は、体験自体が特殊なのでしょうか?
それとも表現だけが特殊なのでしょうか?


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ギリシャ正教のテオーシスとヘシュカズム [古代ユダヤ・キリスト教]

4Cにエジプトでキリスト教の修道院が、砂漠で独居して修行する形で始まりました。
ですが後には、導師の指導のもとに集団生活する形に変化しました。砂漠での修行は、聖域での修行ではなくて、むしろ物質的な悪魔の世界での戦いという意味がありました。
修道士達の中には祈りの中で神を見るという体験をする者が現れ、やがてそのための方法が確立されていきました。
こうしてギリシャ正教(ビザンチン教会などの東方教会)では神との合体が伝統として認められるようになりましたが、ローマ・カトリックでは認められません。

ギリシャ正教ではこの神との一体化を「人間神化(テオーシス)」と呼びます。
ギリシャ正教の修道院で重視される、人間神化にいたる祈りの修行法やその思想は「ヘシュカズム」と呼ばれます。
ギリシャ正教では人間神化は異端どころか、人間の目的・完成なのです。

人間の目標は、アダムの堕落によって失った神の「似像=霊=人間神化」を、キリストの贖罪を契機にして取り戻し、人間の本性である霊性を再創造してキリストの内に再統合することです。
一方、ローマ・カトリックでは人間神化は不可能であって、終末の神の国での至福こそが目標なのです。
つまり、ギリシャ正教は人間を霊・魂・体からなると考えるのに対して、ローマ・カトリックは魂・体しかないと考えているのです。

その具体的な方法はインドやイスラムの神秘主義的修行と似ていて、祈りの言葉を唱えながら、神秘的恍惚の状態に入って、光として現れる神に触れ、一体化するというものです。
身体をまるめてへそを凝視し、でも意識は心臓の当たりに置きながら、「主イエス・キリスト、神の子よ、僕を憐れみたまえ」という祈りの言葉を繰り返し唱えるのです。
最初は声に出して、後には心の中で、前半で息を吸い後半で息を吐きながら唱えるのです。


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キリスト教の正統と異端 [古代ユダヤ・キリスト教]

初期キリスト教の主要な教会は、ローマトルコのビザンティン(コンスタンチノープル)、シリアのアンティオキア、エジプトのアレキサンドリアの4つでした。
オリエントの教会は神秘主義的傾向があり、中でもアレキサンドリアではギリシャ哲学を継承した知的傾向がありました。
一方、最も権力を持つことになるローマ教会は宗教から哲学を切り離し、神秘主義的でなく法的な傾向を持っていました。
 
初期のキリスト教では神やキリストに関して様々な神学的な説が考えられましたが、正統とされたのは、主にローマ教会が主張していた説です。
これは東西ローマ帝国の政治的問題や各教会の権力争いの中で決定されたものです。

キリスト教の正統説では、神は「父」/「子」/「聖霊」の3つからなります。
正確に言うと、ギリシャ正教(ビザンチン教会)では神はこの3つの神の同じ「本質(ウーシア)」と異なる「存在(ヒュポシスタス)」を持ちます。
これが「三一説」です。
一方、ローマ・カトリックでは、神はこの3つの神の同じ「本質(エッセンティア)」と「位格(ペルソナ)」を持ちます。
これが「三位一体説」です。

そしてキリスト教の正統説では、キリストは神性と人間性(人間的な迷いのある精神や魂)の2つが結合した存在です。
これは「二性一体説」とでも表現できるでしょう。
これらの説は2-3Cローマのテルトゥリアヌスによって提唱され、後に4Cのニケーアの公会議、5Cのエフェソスの公会議などによって正統とされました。

ただ、ローマ・カトリックとギリシャ正教では解釈に違いがあります。
ローマ・カトリックでは父から子が生まれ、聖霊は父と子から生まれるのに対して、ギリシャ正教では父から子と聖霊が生まれるのです。
聖霊は人間が神性と結びつくための重要な意味を持つものなので、神秘主義的傾向を持つギリシャ正教では聖霊の地位を低くすることは認められなかったのです。
 
「三位一体説/三一説」はキリスト教の一神教としての性質を危うくするものですが、キリストの神性が物質世界に現れて人間と外から関わること、聖霊が内から関わることを理論化しようとしたものです。
「三位一体説/三一説」は一なるものから段階的に世界が生まれるとする神秘主義の流出論とは異なります。
ですから、正統説に対して様々な異説も主張されました。
そのほとんどは神智学的には正統説よりも妥当なものですが、ほとんどは異端として弾圧、追放されました。
それらを簡単に紹介しましょう。 
 
至高神が三位一体ではなく、一なる存在と考えるのが「単一神論」です。
中でも、父なる至高の神が子と聖霊の神格を生み出すと考えるのが、シリア・アンティコアで勢力を持っていた「勢力論的単一神論」です。
その代表的人物のパウロスによれば、キリストは本質的には被造物であり、父の非人格的な一属性であって、洗礼時に神性を与えられたと考えます。
つまり、キリストは神の子ではなく「養子」なのです。
そして、一なる至高の神が一時的に3つの神格として現れると考えるのが、トルコ・コンスタンチノープルで大きな勢力を持っていた「様態論的単一神論」です。
 
また、エジプト・アレクサンドリアで主流だったのが、プラトン主義の影響を受けた教父オリゲネスによる「キリスト=ヌース論」の考えです。
これはキリストはヌースに相当するもので、父と被造物の媒介的存在です。
そして、聖霊は被造物に属するのです。
オリゲネスとキリスト教グノーシス主義は、キリストには霊、魂、肉体の三重の存在と考えてこれらを区別し、霊的段階がキリストの本体であって、他のものは仮の現れにすぎないとしました。
この考えは、仏教で仏の3身を考えることと似ています。
オリゲネスと単一神論の影響を受けて、キリストは無から創造された被造物であって神の実質を持たないとしたのが、アンティコア出身でアレキサンドリアで活動していたアリウスです。
アリウス派は異端とされゲルマンに伝道をしました。
 
また、キリストの神性と人間性に関して、神性を強調し、人間性が神性にほとんど吸収され融合しているという考えがアレキサンドリアで主流だった「単性論」です。
これは、仏陀は清浄な心身しか持たないとする考えと似ています。
そして、神性と人間性が結合せずに分離して存在し、彼の人間的な意志によって神と結合したと考えたのがアンティコアのネストリウス派です。
ネストリウス派は異端とされペルシャから中国にまで伝道しました。
 


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パウロとヨハネのキリスト教神秘主義 [古代ユダヤ・キリスト教]

キリスト教は神智学的には実りの少ない宗教です。
むしろ、神智学に対する宗教であって、神智学的な部分はほとんど他の宗教や思想から取り入れたものです。
キリスト教の神秘主義はパウロが聖霊の働きを重視したことに始まり、神智学はパウロがキリストがロゴスであるとしたことに始まります。

ヘレニズム化したユダヤ教では、神が息吹く「知恵(ホクマー)」を、宇宙創造の原型であって、宇宙に内在し、生命を与える女性の神的存在であると考えていました。
紀元前後のアレキサンドリアのユダヤ人神智学者のフィロンは、一神教をギリシャ哲学的に解釈した思想家です。
彼はプラトン主義、例えばクセノクラテスがイデアを神の思考とした考えと、ストア派の「ロゴス」の考え方を受け継いで、神が「知恵(ソフィア)」に男性の神的存在の「ロゴス」を生ませると考えました。
「ロゴス」は父なる神の思考内容であり言葉であって、世界の原型です。
そして、ストア派のように世界に内在するものではなくて、神と被造世界を媒介する存在です。
また、天使ケルビムが神の「恩寵」と「統治」の現れであると考えました。彼の言う「ロゴス」はズルワン主義のミスラ、「ソフィア」はアナーヒターに相当します。

これらの考えを受けて、パウロやヨハネ文書などが「イエス・キリスト=救世主(人の子)=ロゴス=光=生命=真理=恩寵=聖霊を送る存在」と考えました。
「ロゴス」であるキリストは父なる神の口から現れた言葉であり、宇宙創造の原型であり、知恵=真理であり、アダムが失った生命(具体的には終末後の永遠の復活として得られるもの)なのです。

そして、「聖霊」はマリアに降りてキリストを生ませる存在、キリストが洗礼を受けた時に降りた存在、人々に生命と真理を与える存在、終末に人々の救済にやってくる助け主なのです。

つまり、イエス・キリストをフィロンの「ロゴス」、あるいは「ホクマー」を男性化したものとして、「聖霊」を「ホクマー」や「ソフィア」から女性としての性質を取り除いたものとしたのです。

ですが、このようなキリスト教の理解は一部の傾向でした。
多くは、キリストは新たな律法をもたらす存在、ペテロが考えたようにキリストは神の下僕であり復活によって天に召された存在と考えられていました。

ギリシャ・オリエントの神智学の影響を受けたパウロ・ヨハネ的解釈から、聖霊によってキリスト=生命(不死性)を得てそれを通して父なる神との結合を目指す神秘主義的な傾向が現れました。
ただ、あくまでもキリストという恩寵を通して受動的にしか霊的体験や不死性の獲得がありえないという点がキリスト教独自の特徴です。
初期の代表的な神秘主義的な教父には、シリアのアンティオキアのイグナティオスがいます。
このような神秘主義的な傾向は、シリアやトルコで顕著でした。

もう一つ重要なのは、パウロがイエス・キリストの受難・復活を宇宙的な出来事としたことです。
ゾロアスター教においても、ゾロアスターの登場は悪の撃退へと向かう宇宙的な転機に当たりますし、ゾロアスターは昇天して霊的な存在となります。
ですが、イエス・キリストの場合、アダムの原罪=死に対するイエス・キリストの贖罪=生命・不死と考えられた点が特徴です。
パウロではまだ現れませんが、後に、キリスト教ではイエス・キリストの受肉に関する考え方と相まって、その宇宙的な解釈はより重要性を持つようになります。


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セフィロート神秘主義 [古代ユダヤ・キリスト教]

メルカーバー神秘主義がヴィジョンと聖書と終末論を重視したのに対して、理論と神智学と宇宙創成論を重視したユダヤの神秘主義思想が「セフィロート神秘主義」です。
この思想はヘレニズム、アレキサンドリアの神智学に大きな影響を受けて生まれたもので、3世紀頃に書かれた「創造の書(セフィル・イエッツラー)」という書に集約されています。

「創造の書」は1から10までの「セフィロート(数)」と、ユダヤ語の22の「アルファベット」、そして「境界」を宇宙を構成する基本的な要素と考えました。
メルカーバー神秘主義が天使を問題にしたのに対して、これらを数と文字に置き換えたのです。
数の神秘思想にはピタゴラス主義や新プラトン主義の影響があり、文字の神秘思想にはバビロニア(ズルワン主義?)やエジプト(ヘルメス主義?)の影響があるようです。
ただ、バビロニアやエジプトの文字の神秘主義は現在まで伝わっていません。

「創造の書」による宇宙生成論では、宇宙はまず神の世界のレベルで行なわれ、次に物質のレベルで行なわれます。
セフィロートなどの基本的な要素は、神の世界のレベルで生まれます。
まず、空間が3つの次元とその鏡像反射された6つの方向によって封印、構成されます。
また、10のセフィロートの中心には、「発声器官のような、裸体のような統合の契約」があります。
これについてはほとんど謎ですが、セフィロートなどを生み出す、あるいは働かせる根源的な存在でしょう。

「創造の書」が最も重視した10のセフィロートは、階層的な性質は少なくて、「4大元素(霊気、火、空気、水)」と「6方向(上下と東西南北)」を表わしていました。
また、グノーシス主義のアイオーンが男女対になっているように、5つずつが対になっていました。

22のアルファベットは、3つの「母字」、7つの「重複文字」、12の「単純文字」に分類されました。
これらは階層的な構造をなします。

3つの母字は2大原理(男性・女性、天・地、火・水)とそこから派生する3大元素(火・水・空気)に対応します。

7つの重複文字は抽象的な7つの言葉(生命・平和・知恵・富・優雅・種子・王権)に対応し、また、6方向と中央、7惑星にも対応します。

12の単純文字は12の人間の行動や能力に対応し、また、6方向の頂点で作られる正8面体の辺、12宮、12の臓器に対応します。
単純文字の中のY、H、Wは上に書いた3つの方向に対応します。
また、この3つの単純文字は神の名前YHWHを構成します。
ただし、この神の名前の本当の発音は、ソロモンの神殿の年に1度の祭儀の際に最高位の神官一人が発音していたのですが、やがて忘れ去られました。

また、アルファベットはそれぞれが特定の数値を持ち、その数値の合計が同じ単語は象徴的に同じ意味を持つものとして入れ替えが可能とされました。
また、アルファベットは10のフィロートの間をつなぐものとも考えました。

「創造の書」は後世のカバラのほとんどの要素を含んでいますが、カバラがその体系の中心に置いた「生命の樹」と呼ばれる図はまだ生まれていなかったようです。

神の世界
10のセフィロート
4大元素+6方向
22のアルファベット
3母音
2大原理+元素
7重複文字
7つの言葉・7惑星
12単純文字
12能力+12宮
境界
 
物質世界
 

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メルカーバー神秘主義 [古代ユダヤ・キリスト教]

ユダヤ教はバビロン捕囚とペルシャによる解放以降に、神話的部分ではゾロアスター教(マズダ教)から、神智学的部分ではズルワン主義やグノーシス主義や新プラトン主義から影響を受けました。
ローマ期のユダヤ神秘主義の中心は、「メルカーバー(戦車)神秘主義」という観相的なヴィジョンを中心としてものでした。
ですが、これに加えて数や文字を単位とした宇宙創造論を展開した「セフィロート(数)神秘主義」が生まれて、これがやがて中世に「カバラ」と呼ばれるようになる思想に結びつきました。

紀元後のパレスチナとバビロニアのユダヤの神秘主義的な一派は、旧約「エゼキエル書」、外典の「エチオピア語エノク書」などの黙示録に記された神の戦車(メルカーバー)やそこにある神の玉座と神を幻視する脱魂的な観相を追求しました。
これらを「メルカーバー神秘主義」と呼びます。

この観相のヴィジョンは厳重な秘密に属するのですが、多分、次のようなものです。
まず7つの門(天)を、次に7つの宮殿を越えて行きます。
そして、4つの顔を持つ人間の姿をした4つの生き物が守る(引く)戦車(玉座)を、さらに(幕で隠された)玉座の上に座す光輝く神を見ます。
さらに神の顔を、そして顔の髭を、そして髭の9つの道を、そして髭の脂を見ます。
通常、神は眺めるだけなのですが、稀には最後には神と合一することもあったようです。
これらの一々の姿形は細かく決まっていたようですが、秘密に口伝されただけなので、失われてしまって現在にまでは伝わっていないようです。

このヴィジョンの中には何段階もの階層的構造が表わされています。
ここにはバビロニア発のヘレニズムの宇宙論・神智学の影響もあるでしょう。
たとえヴィジョン自体には影響がなくても、その解釈には影響があったはずです。
つまり、このヴィジョンは、階層的な宇宙を上昇して、プラトン主義のイデアやヌースの世界、あるいはグノーシス主義のアイオーンの世界に対応する神の世界を観照することに相当するのです。

ユダヤ教とキリスト教の宇宙論は7つの天と7つの地を考えます。
7つの天は7惑星と対応せず、第2天に星々があるとされました。
これは、旧約聖書に書かれている天に関する記述を7つに階層化したものです。
メルカーバー神秘主義のヴィジョンの7つの門は7つの天に対応します。
7つの宮殿は第7天にある階層でしょう。神は第7天のはるか上空にいます。

伝統的なユダヤ教の7つの天)
第7天
神が雲の中に住み、善人の魂が住む天
第6天
雪や風が貯えてある天
第5天
神に使える天使達がいる天
第4天
天上のエルサレムがありミカエルのいる天
第3天
善人のためのマナを作る天
第2天
太陽、月、星がある天
第1天
天幕のように張る天

4つの顔を持つ生き物や戦車は、位階の異なる天使と解釈されました。
旧約聖書で最初に天使の名前が出てくるのはバビロン捕囚期以降で、「ミカエル」、「ガブリエル」、「ラファエル」、「オウリエル」の4大天使です。
ですが、メルカーバー神秘主義では別の天使が重視されるようになりました。戦車を守る4つの人間の姿をした生き物は、牛、獅子、鷲、人間の4つの頭を持っています。
これは先に紹介した最初の占星学体系の春夏秋冬の4つ星座(牡牛座、獅子座、サソリ座、水瓶座)に対応するかもしれません。

そして、それぞれの近くには車輪があります。
これらの生き物は、「メタトロン(サンダルフォン)」あるいは「ケルビム」と考えられました。

メタトロンは最高の位階に属する天使の一人で、第2の神です。
メタトロンは本来は「ミスラトン」と呼ばれ、ミスラをユダヤ教に置き換えたものでしょう。

ケルビムは生命の樹を守ると言われている天使の種類です。
戦車、あるいは車輪は、多くの目を持つ天使の種類の「オファニム」です。

神を隠す幕は、グノーシス主義の「境界」に近い存在ですが、この幕には宇宙の誕生から終末にいたるすべての出来事が記されていると考えられました。
ですから、この幕を見ることによって、終末を知ることができたのです。
こうしてメルカーバー神秘主義は終末論とも結びつきました。

神を囲む光輝は「シェキナー(住居)」と呼ばれる存在です。
これはズルワン主義のソフィアに対応する存在で、人間に神的な知恵(ホクマー、神的な女性原理)を伝え、神の偏在性を保証する女性原理です。
また、神の顔は通常は男性ですが、同時に女性の顔をも持つとされ、これを見ることが目指されました。

 


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