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宋学と程伊川 [中国]

北宋、南宋の時代には貴族勢力が衰退し、遼や西夏といった北方民族に対抗する必要から政治に対する関心が高まり、仏教に変わって儒教が勢力を盛り返しました。
そして、道家思想や仏教哲学の影響を受け入れた形而上学的な性質を持った新しい儒教哲学が生まれました。
これを総称して「宋学」と呼びます

宋学の主要な思想家は、11Cの北宋の4人の思想家、周濂渓、張横渠、程明道、程伊川と、彼らを影響を受けてそれを統合的に体系化した12Cの南宋の朱子です。

周濂渓は道家思想、易経、五行思想の影響を受けて独自の流出論を儒家思想の中に導入しました。
これによると、宇宙は「無極→太極→動静→陰陽→五行→万物」と順に展開します。
そして、人間が宿す太極を「誠」と呼びました。
人間の中の太極は本来「静」ですが、外界と触れて「動」が生じると善悪が発生します。
この「動」が生じる瞬間を「幾」と呼び、この時に「静」を基盤にして私欲によらず、中立の立場にいることを目指しました。

程明道は周の「太極」を「天理」と言い替えて、道家思想や中国仏教の「理」を儒家思想に導入しました。彼の「理」は「気」の法則であって、「気」と一体で同時に存在します。
そして、「理」は直観的に認識される概念を越えた存在です。
彼は人間の中にある「理」を「仁」と表現し、これを養い、万物が一体であることを認識して、私情や執着なしに外界に対することを目指しました。

これに対して明道の弟の程伊川は、「理」と「気」を区別して2元論を展開しました。
「気」は単なる素材的存在で、「理」は「気」を存在たらしめている実体なのです。
「太極」として存在する根源的な本質である「理」は、流出によって限定され分化されていき万物に内在する本質として万物を形成していきます。
伊川はこれを「理一分殊」と呼びました。
これは、新プラトン主義やイスラム神智学を同様な普遍性の高い神智学の世界観です。

伊川は『中庸』を受けて、周の言う「無極」や「太極」に対応する人間の心の現れのない静的な状態を「未発」、「動静」以降に対応する心の様々な現れの生まれた動的な状態を「已発」と呼びました。
人間の心が「未発」の時は根源的な「理」の状態にありますが、「已発」となって思考が現れると身体的な「気」の要素が生じて、感情も現れ善悪も生じます。
ですから、「未発」の状態に留まることを心掛ける必要があります。

ですが、人間は身体を持つ不十分な存在なので、外界の中にある「理」を認識することを目指さなければなりません。
これを「格物致知」あるいは「格物窮理」と呼びます。
これはプラトンが世界の中にイデアを見ようとしたことと同じです。

そのためには外界を観察する瞑想を行う必要がありますが、これを道家のように「坐忘」とも、禅宗のように「座禅」とも言わずに「静坐」と言いました。
この時、外界の個物の中にある「理」を直観しているうちに、突如、「太極」そのものである超越的な「理」にまで直観が至るのです。
これを彼は「脱然貫通」と呼びました。

南宋の朱子は北宋の思想家達の思想、特に程伊川の思想を受け継いで宋学を統合・体系化しましたが、彼独自の思想はさほどありません。
ただ、「太極」が「理」に他ならないとして、「理」を強調しました。彼の思想は「朱子学」と呼ばれ、「理」を重視したので「理学」とも呼ばれます。
彼の思想は弾圧されましたが、彼の死後に国の公認の学問となりました。

(宋学:周濂渓の流出論)
(老子の流出論)
無極
道=混沌=無名
太極
一(一気)
動静
陰陽
ニ(陰陽)
五行
三(陰陽冲気)
万物
万物

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格義仏教 [中国]

漢の武帝が匈奴を征伐してから西域との交流が開け、仏教は紀元前後に中国に伝えられました。
ですが、中国の現実主義と中華思想のために仏教はあまり広がりませんでした。
初期の仏教は道家思想の用語を当てて翻訳され、道家思想によって解釈されたため、これを「格儀仏教」と呼びます。
例えば「空」を「無」に、「涅槃」を「無為自然」にといった具合にです。

六朝期の4Cには北方民族による中国北部の支配によって中華思想が打ち砕かれ、仏教に対する関心が深まりました。
また、鳩摩羅什によるより正確な翻訳が行われました。
ですが、公然と道家思想の用語を使わなくなっただけで、その道家思想的な解釈は変わりませんでした。

中国仏教の特徴は、道家思想の影響もあって実体主義的な傾向と現世肯定的な傾向が強いことです。
中国仏教を特徴づける重要用語は、道家思想から導入された「理」です。
「理」はインド仏教の「法身」、「仏性」に相当するものと解釈されました
仏教は本来、普遍的法則・本質を認めませんが、「理」はそのような意味で使われたのです。

六朝期を代表する仏教思想家は竺道生と僧肇です。

竺道生は、郭象の影響を受け、個別的存在である「事」を貫く唯一普遍の「理」を悟ることが仏教の涅槃であるとしました。
そして、この「理」は個人に内在します。

僧肇は、涅槃は心身の活動の消滅、つまり、外界の感覚を無視して無心になることだとしました。

西方地域との交流が盛んになった唐時代には、西方の様々な宗教が伝道され中国中に広がりました。
中国ではネストリウス派キリスト教は「景教」、ゾロアスター教は「示天教」、マニ教は「摩尼教(明教)」、イスラム教は「回教」と表現されました。

ですが、仏教を含めこれら外来宗教の差異については十分に認識されませんでした。
ただ、マニ教は道教化を進めて、正式に道教の一派として公認されるようになりましたが、その結果、やがて完全に道教に吸収されてしまいました。


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道教の成立 [中国]

「道教」は、道家思想、神仙術(煉丹術・養生術)、陰陽五行説、方術、符咒、巫術、民間信仰、それに、禅などの仏教、儒教、ミトラ教(明教)、弥勒信仰などが習合したものです。

「道教」という言葉は、広い意味では儒教以外の中国民間信仰のすべての総称として使います。
これに対して、開祖がいて、特定の教義や教団を持つ道教を、「成立道教」と言います。

「成立道教」につながる経典には、体内神の存思(観想法)などを説いた「太平経」、「周易参同契」、煉丹術や養生術を説いた「黄庭経」、「抱朴子」などがあります。

「成立道教」は、後漢時代から南北朝時代(2-4C)に、神仙道と道家思想の影響を受けた生まれました。
具体的には、「太平道」、「五斗米道」、「葛氏道(霊宝派)」、「上清派(茅山派)」などです。
これらの道教はいずれも民間の多神教的・呪術的な信仰を否定する宗教です。
そして、「五斗米道」を中心としながら他の教派の思想すべてを統合し、自らを「道教」と名乗ったのが5Cに生まれた「天師道」です。

ですから、最も狭い意味での道教はこの「天師道」とその影響で生まれた教派だけを指します。
これらの道教が当初に至高神、つまり、道家思想の「道」の神格存在と考えていたのは「太上大道」です。

ちなみに、「太平道」、「五斗米道」は、懺悔を行い、神々に体内神を使者として送る「呪鬼法」による病気治療を重視しました。
「葛氏道(霊宝派)」は、葛洪「抱朴子」を継承し、錬丹術、特に外丹法と房中術を重視しました。
「上清派(茅山派)」は、「黄庭経」を継承し、観想法である「存思法」と仏教から取り入れた終末論を重視しました。

葛氏道は5Cに新たに、至高存在を3つの次元で考える「三尊説」を唱えました。
第1の神格が「元始天尊」、第2の神格が「太上道君」、第3が老子を神格化した「太上老君」です。
この後、道教の代表的な至高神は「太上大道」から「元始天尊」となりました。

天師道は北魏時代に寇謙之によって洗練されて、貴族階級の支持を得ました。
また、東晋から南朝時代に陸修静によって体系化して確立されたました。
彼は様々な道教の経典を分類して取り入れ、後に『道蔵』で行われた「三洞四輔十二類」という分類の基礎を作りました。

そして、以下のような神話を語ります。
宇宙の始めの3つの気「玄気/元気/始気」から生まれた「玄妙玉女」の左脇から「太上老君」が生まれ、「太上老君」がこの世界を創造しました。
「太上老君」は春秋戦国時代に老子として現れて道家思想を説き、後漢時代に五斗米道の開祖、張陵に教説を伝えました。
またこの時、世界の統治者が六天から「三天(清微天/禹余天/大赤天)」に変わったことを伝えました。

三天は「太上大道」の3つの現れであり、神格でありその居場所であって、「三尊説」のような垂直的な構造ではなく水平的な存在です。
また、三気は陰・陽・冲の3気とは違って、これらを生み出す元になるものです。

この「三気・三天」の説は上清派から取り入れたものです。
これは中国オリジナルな思想かもしれませんが、ひょっとしたらインド・サーンキア哲学の「3グナ(サットヴァ/ラジャス/タマス)」説の影響があるかもしれません。
ちなみに宋時代以降はさらに体系化が進んで、一気である「妙一」から「三元」が生まれ、これから三気と三天、三清、三宝君が生まれるとい説くようになりました。

天師道では「太上老君」は三天を補佐する存在で、三天より低い神格です。
ですが、「太上老君」を至高存在として考えることもありました。
つまり、天師道は、仏教が至高の真理そのものである仏陀が説いた教えであることと同様に、道教は至高の真理そのものである道=太上老君=老子が説いた教えであるとしたのです。

ちなみに、宋時代以降には道教は「玉皇大帝」という神格が重要視されるようになりました。
「玉皇大帝」は本来は三尊よりも下位の神格で、宇宙を司り、人間を審判する神です。

道教の生死観では、人間は生後に自らが行う悪行によって鬼神が人間の寿命を縮めて死ぬと考えます。
ですから、人間が死ぬと全員が地獄に生きます。
逆に、善行のみを行い、鬼神を遠ざければ不老長寿を達成されるのです。

道教の終末論は以下のようなものです。
宇宙は定期的に生滅を繰り返します。
そして、近い将来、大災害によって悪人は死に絶え、善人は神仙境で災害を逃れて生き残り、新たな太平の世界で救世主である金闕聖後帝君にまみえることができるのです。

この生滅宇宙論と終末論は、仏教よりもズルワン主義やマニ教の終末論に近いように思えます。

天師道では、仏教の宇宙論の影響を受けて独自の宇宙論を生み出しました。
これは、仏教の欲界・色界・無色界の28天の上に、8天を加えた32天からなります。
その8天は、最上天が元始天尊のいる「大羅天」、次が三天の神格である「天宝君/霊宝君/神宝君」が住む「三清境(玉清境/上清境/太清境)」、次が不死の神仙が終末を待つ4つの「種民天」です。

一方、上清派では、陸修静の孫弟子に当たる陶弘景(5-6C)が、道教(神仙)思想の体系化を行い、下記の表のように、天地と神を7階層化してました。

(道教の神の階層)
(天師道33天宇宙論)
 
(上清派の7階層宇宙論)
元始天尊(太上大道)=無
大羅天
元始天尊と29神
太上道君=妙一
王晨玄皇大道君と104神
三天・三宝君=三元・三気
三清境(3天)
金闕帝君と84神
太上老君
種民4天
太上老君と174神
金闕聖後帝君
無色界4天
九宮尚書と36神
玉皇大帝
色界18天
(地上)中茅君と173神
欲界6天
(地獄)北陰大帝と88鬼

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玄学(南北朝時代の道家思想) [中国]

三国時代から南北朝(六朝)時代には、官吏が貴族化して儒家思想への関心が薄れ、3C頃に何人かの思想家が流出論的な道家思想を哲学的に発展させました。
これらを総称して「玄学」と呼びます。

何晏は「道」の「無」としての性質を強調しました。
つまり、これまでの道家思想の「無」は、まだ存在論的に十分に理論化されていなかったのに対して、有を生み出す根源としての存在の根拠を「無」として規定しました。
そして、多くのキリスト教神秘主義が「神」を認識できないとしたのと同じように、「無」は体得できないものとして、その超越性を際立たせました。

これを受けて、王弼は「無」を「無称」として、その言葉による表現の不可能性を強調すると同時に、「無」と「道」とを存在論的に区別しました。
つまり、「無」は至高存在の静的消極的母体であるのに対して、「道」は万物を生む創造的存在なのです。

次に、郭象は荘子の注釈によって思想を展開しながらも、超越的存在として「道」を否定し、自然のみを肯定しました。
ですがその結果、自然に内在する普遍的な法則・本質としての「理」を重視する結果になりました。
「理」を体得するためには坐忘によって「無心」となる必要があります。

最後に、張湛は郭象の「理」を受け継ぎながらも、列子の注釈によって思想を展開して「道」を「太易」と表現し、その超越性を否定しませんでした。
また、他の玄学家が「気」を重視しなかったのに対して、「気」を「太易」から生まれる存在として重視し、「理」に則ってよって万物が生滅すると考えました。
「理」は「忘言、忘意、無為」によってのみ体得、認識できるのです。

郭象と張湛によって「理」が形而上学的な主要概念として確立されました。
張湛に代表される道家の「理」は、「道」の至高存在としての超越的な状態という側面を持つと同時に、世界の万物に内在する唯一なる本質という側面を持ちます。
ですが、「理」が万物に内在するからといって、多数存在するような個的な「理」というものは考えられませんでした。
 
  


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漢代の道家思想の影響 [中国]

漢代の初期には中央集権的な秦の政治に対する反動から道家思想が盛んになりましたが、その後、武帝による儒家思想の国教化と官吏による知識の独占によって漢代には儒家思想の天下となりました。

秦代から漢代初期(-2~3C)に成立した「易経」の中の形而上学的な傾向の強い「繋辞伝」では、道家思想の影響を受けた流出論が語られます。
これによれば、「太極」から「両儀」が生まれ、次に「四象」が生まれ、次に「八卦」が生まれます。
易は象徴体系であり、垂直的かつ水平的な構造を持つ宇宙論でもあります。

そして、この易は「理」を表現するものと考えられました。易経の「理」は道家の「理」と同様に概念的ではない宇宙法則・本質ですが、象徴的、イメージな体系である易を支えるような、根源的なイメージの運動を支える本質なのです。

前漢時代後期(-1C)の「淮南子」は道家の流出的宇宙論をベースにしながらも、儒家思想の倫理に対する関心を取り入れました。
こうして、自然が本来的に善なる性質である「仁義」を持つ存在であるとし、また、「無為自然」ではなく学問などの人為的な行為を重視しました。

また、同じ頃の「列子」も道家の流出的宇宙論を受け継ぎ、「道」を「太易」と表現しました。
そして、万物が生成変化する「生・化」であるのに対して、「太易」を「不生・不化」と規定しました。


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道家思想の成立 [中国]

大まかに言うと、儒家思想は、北方系遊牧民の、星座の動きの観察からくる合理主義と天の思想をベースにしていて、一方、道家思想は、南方系の水稲農業民の、「原初の水」を母体にした自然な創造の思想をベースにしていると言われています。

後に国教化されて中国思想の正当を形成する孔子(-5C)などの儒家思想は、「天」を合理的に解釈し、「天」が人に授ける「仁」や善なる「性」を重視しました。
そして、社会的な倫理道徳を「道」と呼び、また、言語的な秩序を重視して、主要な概念ではありませんでしたがこれを「理」と呼ぶこともありました。

これに対して、「天」を退け、一種の流出論的な神秘主義思想によって儒家思想を批判したのが老子(-4C)、荘子などの道家思想です。
道家思想は真の「道(タオ)」とは世界の根元である「混沌」であるとして、これを「無名」とも表現しました。
つまり、「道」は世界を流出して生み出すような世界を超越しかつ内在する至高存在であると同時に、どこかに秩序化される以前の世界の素材である神話的「混沌」という性質を残したものなのです。
そして、これを言葉で表せないものとして否定的に表現したのです。
また、オリエントやインドで至高存在を「至福」とか「歓喜」と表現するように、老子は「道」が「恍惚」であるとも表現しています。

老子の流出論では、無名の「道」から有名の「天地」が生まれ、ここから万物が生まれます。
「道」と「天地」が共に働くことを、つまり生成の瞬間を「玄」と呼びます。
また、「道」が「一(一気)」を生み、次に「二(陰陽2気)」を生み、次に「三(2気とこれが和した冲気)」を生み、これから万物が生まれるとも説きました。

老子は人為的な行為や社会的・言語的秩序を否定して「道」を体得した生き方である「無為自然」を理想としました。
つまり、「道」が超越的かつ内在的存在であるように、人も心身の活動の消滅した超越的意識を獲得すると同時に、物質世界や心身の活動をそこに内在する「道」に従って肯定するのです。

また、老子は、「道」と一体であることを「抱一」と表現しました。
同様のことを、荘子は「守一」と表現しました。

荘子は「道」を体得するための方法論としてインドのヨガに相当する「坐忘」を主張しました。
そして、世界の一切を差別なくあるがままに認識する「万物斉同」の境地を目指しました。

また、万物は気の「凝集」によって生まれ、「拡散」によって気に戻ると説きました。
つまり、気は世界の根源的な素材であり、凝集の程度によって世界の階層性が生まれるとして流出論的宇宙論を進めたのです。

また、主要な概念ではありませんでしたが、荘子には「道」から生まれた世界に内在する根源的な法則を「天理」と表現しました。

荘子の「天理」に始まる道家の「理」の概念は中期プラトンの「イデア」やストア派の「ロゴス」に近い概念で、理性的に捉えたり言葉で表現できるものではなく、直観的にみ捉えられる形而上学的な法則・本質です。
一方、儒家の「理」は後期プラトンの「イデア」に近い概念で、理性的に捉えられる概念的存在で、社会的な法則です。

また、道家思想の自然観によれば、自然は「道」が内在するためにその名の通り自ら存在・運動するものです。
これは仏教が自然を互いに依存関係にある非実体的で本質を持たない存在とした無我説・縁起説による自然観とは異なります。
 


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如来蔵思想 [古代・中世インド]

「如来蔵(タターガタガルバ)」とは、人の心の中にある仏の本性のことであり、「仏性」と同義です。
如来蔵思想は、すべての人間の心の中には、仏と同じ清らかな心(自性清浄心)が存在していて、煩悩(客塵煩悩)によって覆われているが、それを取り去ると仏になることができる、という思想です。

如来蔵を巣主張する「如来蔵思想」は、初期の大乗仏教の思想潮流の一つです。
中観派や般若系経典が真理を「~がない」という否定的に表現したことを受けて、唯識思想と如来蔵思想は、「~がある」という肯定的な表現を行いました。

如来蔵思想には、唯識派のような「意識論」はなく、「如来論」というべき思想です。
それゆえ、「修道論」もなく、人々に希望を与える「救済論」というべき思想です。

一般に、仏教は「無我」を主張し、「アートマン」のような実体を認めません。
しかし、初期の如来蔵思想の経典や論書には、「如来蔵」を「アートマン」と同様な存在であると言っているものもあります。

「如来蔵」の概念は、直接的には部派仏教大衆部の「心性本浄」の延長上にあると言えます。
インドの文脈では、ヴェーダーンタ哲学の「アートマン」、サーンキヤ哲学の「プルシャ」の影響を受けているでしょう。
また、ヘレニズムの文脈では、グノーシス主義や、心の深層にある神性があるというギリシャ・イラン系宗教からも「影響を受けているしょう。
大乗仏教はヘレニズムの東端の運動であり、ヘレニズム思想の特徴であるグノーシス主義と近いのは、当然だと言えます。

仏教の経典・論書の上では、「法華経」が、如来は不滅な存在であること、すべての人が仏になることができると宣言したことが、如来蔵思想への最初の一歩だったのでしょう。

それを受けて、1C後半から2C中葉の「大般涅槃経」では、釈迦がなくなっても、如来の本性としての「智慧」(法身)は常住であり、すべての人にその如来の本性である「仏性」が存在していると、改めて宣言しました。
そして、この経典の中で、「仏性」と同じものとして「如来蔵」という言葉を使いました。

「大般涅槃経」では、「如来蔵」は、「法身」=「涅槃」でもあり、「常楽我浄」を特徴とするものとされます。
この仏の実在性を強調するために、「如来蔵」を「我(アートマン)」であると表現しているのです。
ただし、これは誤解を受けやすいので、菩薩のための秘密の教えであるとも表現します。

次に、「如来蔵経」は、「大般涅槃経」の「すべての人の心の中に仏性がある」ことを、「醜く萎れた花弁のうてな(蓮台=パドマガルバ)で光輝を放ちつつ瞑想する如来たち」という比喩で表現しました。

如来思想を論理的に表現しようとしたのは、「宝性論」です。
同書、及びその註釈書は、「一切衆生が如来の本性を有している」ことを、

 ・ 法身が遍満している(仏の智慧が人の中に浸透している)
 ・ 真如が無差別である(それは無垢なる本性なので、仏も人も不二である)
 ・ 如来の種姓が存在する(仏となる可能性を持っている)

という3つの観点で説明します。

如来蔵思想を体系的に論じた「宝性論」では、
・因である「有垢真如」=「如来蔵」、「仏性」=「智恵」
・果である「無垢真如」=「菩提」=「慈悲」
・両者の共通の性質を「真如」
としました。

また、唯識思想までは、真理の客体としての「涅槃」は無為法、それを認識する主体(心・識)としての「智恵」は有為法として区別されました。
しかし、如来蔵思想では、両者が一体のものとなりました。
「真如」という遍在性を含意する概念が、無為法と有為法の区別をとっぱらったのです。

如来蔵思想は実在論的傾向が強いため、当初は、唯識派と接近していました。
しかし、6C以降は中観派と接近し、「如来蔵」は「空」、「無我」であるとされるようになりました。

これを受けて、チベットでも、中観帰謬論証派の「自性空説」の立場から、「如来蔵」を実体視する立場を、「他空説」として否定するのが正統派となっています。


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瑜伽行唯識派 [古代・中世インド]

「瑜伽行唯識派(ヨガ・チャーラ)」は、「中観派」と並ぶインド大乗仏教の2大学派の一つです。

「唯識派」の思想は、説一切有部の教団の中の「瑜伽師(ヨガ・チャーラ)」と呼ばれる瞑想修行を行っている僧達が、その体験を元にしつつ、アビダルマや「空」思想を取り入れて作りました。
厳密に言えば、「唯識派」は学派名で、それをになったのが「瑜伽師」です。
両者の関係は、サーンキア派とヨガ派の関係と同じでしょう。

唯識派は、無常・無我である人がどのように輪廻し、業の因果法則を引き受けるのかを、唯心論的な世界観と、無意識的な心の分析を通して理論化しました。

唯識派は、マイトレーヤ(弥勒、2-3C)に始まり、アサンガ(無著、4C)、ヴァスバンドゥ(世親、4C)の兄弟が教学を大成しました。
しかし、弥勒は、実在人物ではなく、本尊としての弥勒菩薩だと推測されます。

その後、論理学を完成したディグナーガ(陳那)、『成唯識論』の元となる思想を展開したダルマパーラ(護法)などが出ました。

主な経典は、『解深密経』、論書は、『瑜伽師地論』、『現観荘厳論』、『摂大乗論』、『唯識三十頌』、『成唯識論』などです。

唯識派は、「三時教判(三転法輪説)」といって、仏の思想は、「小乗」(初転法輪)、「中観派」(第二転法輪)、「唯識派」(第三転法輪)と3段階で、順に、より深い教えが説かれたと主張します。
その3段階の思想はそれぞれ「有」→「無」→「中道」を本質とし、最後の唯識説が仏の密意であるとします。
つまり、中観派が真理についてただ「空」と否定的に表現しただけであるのに対して、唯識派は肯定的にその構造を示そうとしました。


<教義>

仏教では瞑想において、主客未分、無概念(無分別)の状態を体験します。
中観派が「空」と表現したこの状態の対象を、唯識派は「識(ヴィジュニャプティ)」と表現します。
この言葉は、本来は「表象(作用)」という意味ですが、この主客未分の状態から、分別する作用、分別された世界まで、すべてを含んだ概念です。

唯識派は、日常的な認識世界、心身内外の世界はすべて、「識」の作用によって表象されたものにすぎない、と考えます。
このことを「唯識性」と言い、「心の法性」とも言います。
この認識を理解している状態を「住唯識」と言います。
ですから、「法」も「我」も「識」によって仮設されたものにすぎません。

アビダルマ(説一切有部)では、実在である「法」を大きく「色」、「心(王)」、「心所」、「不相応行」、「無為」の五位に分類します。
唯識派では、「識」のみが実在なので、以上の「法」はすべて二次的な存在でしかありません。

もう少し厳密に言えば、「心(王)」と「心所」が「識(ヴィジュニャーナ)」であり、「色」、「不相応行」は仮の「法」、「無為」は「識」の本性です。
説一切有部では「心王」に「識」がありますが、唯識派では、「心王」に八識(後述)があるとします。
そして、「不相応」に「名身」「句身」「文身」などの言語に関するもの、「無為」に「真如」があります。
「色」、「心所」、「不相応行」、「無為」は、本質的には「心(王)」に、つまり、「識」に帰属します。

唯識派では、説一切有部と同様、「涅槃」は無為法、「識(心)」は有為法として区別しますが、「涅槃」を「識の本性」と表現することで、両者が連続的なものとなりました。

唯識派では、未分化な状態から分別された世界が生まれる過程を、「転変(パリナーマ)」と呼びます。
これは、サーンキヤ哲学がプラクリティから世界が生まれる過程を表現した「展開(パリナーマ)」と同じです。

唯識派では「識」に8種類の階層(八識)を考えます。

・「前六識」(識) :5感に対応する「眼識」「耳識」「鼻識」「舌識」「身識」と「意識」
・「末那識」(意) :自我の執着を生み出す無意識的な意識
・「阿頼耶識」(心):一切を生み出す根源的な意識。「阿陀那識」、「一切種子識」、「異熟」とも呼ばれる

アビダルマでは「識(ヴィジュニャーナ)」、「意(マナス)」、「心(チッタ)」はほぼ同じ意味で使います。
しかし、唯識派では、一般に「識」は前六識、「意」は「末那識」、「心」は「阿頼耶識」を指します。

「阿頼耶識」は根源にある「識」で、他の七識を生み出します。
「阿頼耶識」は輪廻の主体であり、それ自体は善でも悪でもありません。

「阿頼耶識」は「種子(習気)」を蔵しています。
「種子」は、人が無常であるのに業がどう引き継がれるかを説明する概念で、部派の「経量部」より取り入れました。
ちなみに『倶舎論』では、種子は五蘊に溜ります。

行為(業)は、臭いが移るように、その影響・結果を「阿頼耶識」に「習気=種子」として植え付け(薫習)ます。
この行為の結果という側面が「習気」と表現されます。

「習気=種子」が原因となって、成長して、行為を生み出します。
この行為の原因としての側面が「種子」と表現されます。

七識が「阿頼耶識」に「種子」を植え付け、「阿頼耶識」の「種子」が七識を生み出すという、相互関係が唯識派の考える「縁起」であり、「阿頼耶識縁起」と呼ばれます。
「識」はこのように、相互関係によって、また、個々の「識」自身として、常に変化しつづけます。

ですから、唯識派の「(識)転変」は、サーンキヤ哲学の「展開」のように深層から一方向的に創造されるわけではありません。
唯識派では「識」は「転変」するから無常なのであり、一方、サーンキヤ哲学では「転変」するので常住とされます。

「阿頼耶識」の別名の「阿陀那識」は、肉体を形成する潜在的な力として『解深密経』で説かれました。
「阿頼耶識」が完全に清浄になって仏になった場合は、「阿頼耶識」という名は使えません。
しかし、「阿陀那識」は無始より仏になった後でも呼ぶことができる名前です。
「阿陀那識」には、「如来蔵」という概念を取り込んでいると考えることもできます。

「意識」の原義は「意(マナス)に依る識」、「末那識」の原義は「意(マナス)という名の識」です。
「末那識」は「阿頼耶識」を自我であると思い誤って執着する「識」です。
サーンキヤ哲学の「マナス」は唯識派の「意識」、「アハンカーラ」が「末那識」に対応します。

「末那識」は執着の根源ですが、それ自体は善でも悪でもないとされます。
具体的に善悪と伴う業を生み出すのは「意識」であり、それによって「業種子」が生まれます。

中観派までの仏教は「世俗諦」、「勝義諦」という2つの世界を考えたのに対して、唯識派では「三性説」といって認識世界を3つで考えます。

「世俗諦」・「有」に相当するのが、分別された執着のある対象としての世界である「遍計所執性」です。
「縁起」に相当するのが、相互依存する実在としての「識」の活動である「依他起性」です。
「勝義諦」・「空」に相当するのが、執着をなくした「識」である「円成実性」です。

理論的には「円成実性」は無始なるものですが、現実的には、その名の通り目標として目指されるものです。
この主観的側面は「無分別智」であり、客観的側面は「真如」です。

「阿頼耶識」には煩悩によって汚染された部分と清浄な部分があります。
修行によって「阿頼耶識」を清浄なものにしていくことを「転依(パラヴルティ)」と言います。
「阿頼耶識」の中にある「有漏の種子」をなくし、「無漏の種子」を成長されることで「智」が生まれます。

この過程は、「転識得智」とも言い、「識」が「智」に変化します。
具体的には下記のように変化します。

1. 前五識  → 成所作智
2. 意識   → 妙観察智
3. 末那識  → 平等性智
4. 阿頼耶識 → 大円鏡智

「意識」が変化した「妙観察智」は「後得智」の正体です。

「四智」を獲得すると仏になるので、「仏の三身」が獲得されます。
真理そのものである「法身(自性身)」は「真如」とも呼ばれます。
霊的な体である「報身」は「平等性智」と共に生まれます。
肉体である「変化身」は、「成所作智」と共に生まれます。
また、環境としての器世間は仏国土となります。

如来蔵思想の影響を強く受ける前の唯識思想には、「智」の原因になる「無漏種子」があるかないか(受け入れることができるかで、きないか)は、人によって異なるとする説があります。
「菩薩」になれる種子のある人、「縁覚」になれる種子のある人、「声聞」になれる種子のある人、一切種子のない人、といった区別が生まれながらにしてある、ということです。

この「四智」に「法界清浄」という考えを合わせた「五法」は、密教の「五智」へとつながります。
また、唯識派は、「識」が究極的には「光」として体験されると考える場合もあるので、これも密教につながる考えです。


<歴史>

唯識派は、その当初から、先行していた如来蔵思想の影響を受けていました。
徐々にその影響は強くなり、「阿頼耶識」と「如来蔵」の結合・同一視を生み出しました。

後期の唯識派は、「無相唯識派」と「有相唯識派」に分かれ、論争があったとされます。
この二派に関する最初の記述は、シャーンタラクシタの『中観荘厳論』(8C)です。
しかし、この当時でさえ、はっきりと二派が存在したかどうかも不明です。

「有相唯識派」は、認識は対象の形相を有していると考えます。
分別以前に感覚像としての直感があり、これは真理であるとします。

ディグナーガ(陳那、5-6C)、ダルマパーラ(護法、6C):『成唯識論』、ダルマキールティ(法称、7C)らが主な論者です。
玄奘以降の中国・日本の法相宗は、この系統です。

一方、「無相唯識派」は、認識は対象の形相を有していないと考えます。
感覚像も含めて主客の構造があり虚偽であるが、それを生み出す働きの「心の輝き」は真実であるとします。
これが、密教の「光明」につながるのかもしれません。

スティラマティ(安慧、5-6C)が主な論者です。
彼は、アサンガ、ヴァスバンドゥ兄弟が究極的には「識」の実体性を否定したことを受け継ぎ、かつ、如来蔵思想の影響を強く受けました。

また、その後、「無相唯識派」は「中観自立論証派」の影響を受け、シャーンタラクシタが「瑜伽行中観派」を形成し、カマラシーラらに受け継がれます。
この二人はチベットでも活躍します。


<実践>

唯識派の観法は「唯識観」と呼ばれますが、それでは、認識そのものを対象にした認識が重視されます。

「成唯識論」の修行体系を紹介しましょう。
これは、中観派(般若学、「現観荘厳論」)と同じく、「五位(五道)」と「菩薩の十地」を基礎としています。
「五位(五道)」は、「資糧位(資糧道)」、「加行位(加行道)」、「通達位(見道)」、「修習位(修道)」、「究極位(無学道)」の5段階です。

1「資糧位」の段階では、教説を学び、利他を行いながら、「四無量」などの「止」と初歩の「観」を行います。

2「加行位」では、唯識派独特の観法(唯識観)によって、後天的な煩悩障と所知障(法我執)を抑えます。
具体的には、「倶舎論」、「現観荘厳論」と同じく、「四善根」の瞑想ですが、その特徴は「唯識観」と呼ばれる唯識派の教学に沿った観法を行う点です。

「四善根」の最初の2段階は「四尋思観」と呼ばれ、認識の対象である言葉・概念・主語性・述語性の4つは仮の存在であり、実在しないと観察・思索します。
後半の2段階は「四如実智観」と呼ばれ、先の認識の4つの対象を作り出した主体も存在しないと観察・思索します。

ここまでが凡夫の段階で、次からが聖者の段階(菩薩十地)です。

3「通達位(見道)」は、無漏で無概念の「無分別智」によってあるがままの真如を見る段階です。
また、それを基にした概念的な「後得智」を得ます。
これによって、後天的な煩悩障と所知障の種子と習気を断じます。
菩薩の初地に入り、「妙観察智(後得智)」と「平等智」が「意識」と「末那識」から生じます。

「無分別智」の瞑想は「真見道」と呼ばれ、「住唯識」の状態になります。
「後得智」の瞑想は、「相見道」と呼ばれ、主客の空を対象にした「三心相見道」と、四諦を対象にした「十六心相見道」の2つの観法があります。

4「修習位(修道)」では、波羅蜜を行じながら十地まで進み、先天的な煩悩と所知障の種子と習気を断じます。

5「究極位」では、「四智」を得て、仏に到達します。
「大円鏡智」と「成所作智」が生まれ、「妙観察智」と「平等智」が完成します。

修行道について詳しくは、姉妹サイト「仏教の瞑想法と修行体系」の「倶舎論」(説一切有部系):各論をご参照ください。

唯識派は、無意識にある「種子」に業の結果と原因を求め、また、智の原因をも求めました。
しかし、純然たる神秘主義思想である密教のように、もともと無意識に清浄な智が存在すると考え、「種子」を創造の原型と考えるには至りませんでした。
  


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中観派と般若学 [古代・中世インド]

「中観派(マードゥヤミカ)」は、唯識派と並ぶインド大乗仏教の2大学派の一つです。
また、中観派の修行道論などの実践的な教学は「般若学」と呼ばれます。

中観派は、ナーガルジュナ(竜樹、2-3C頃)に始まります。
ただ、実際には、彼が活動した頃には、まだ学派と呼べる存在があったわけではありません。
中観派は、ナーガルジュナの主著の「中論」を論拠として、「空性」を中心教説とします。
「中観派」というのは中国での名前ですが、正しくは「中派」、ないしは「空性論者」です。


<教学>

「中論」は、般若経典を根拠としながら、概念的認識の真理性を否定します。
一言で言えば、中観派の教学の目的は、言葉によって言葉を否定することであると言えるのではないでしょうか。

従来のアビダルマ哲学(小乗仏教の教学)では、「法」の実体性(実有論)が主張されていました。
ナーガルジュナは、これを完全否定しました。
ナーガルジュナの主な論争相手は説一切有部です。

「中論」では、「縁起」、「無自性」、「空」を同じ意味で、また「仮」、「非有非無」、「中道」もほぼ同じ意味で使います。

すべての存在は、「縁起」(相互依存)する存在であるがゆえに、「無自性」(本質を持たない)であり、それを「空」(実体性を欠いている)と表現します。
すべての存在が本質を持たないがゆえに、概念では正しく表現できないので、「空」という概念で表現することも「仮」の表現である。
しかし、それによって「有」や「無」といった極端な見解への執着を離れることができるので、これは「中道」である。

だいたい以上が、「中論」の主な主張です。
「中論」では「縁起」をアビダルマのように時間的因果関係ではなく、相互依存という論理的関係として捉えます。

「非有非無」というのは単に「ある/ない」の否定ではなく、論理学的にすべての命題の「肯定/否定」の否定を意味します。
つまり、形式論理学の基本となる「二項対立」を否定します。

「中論」では、他にも「四句分別」の否定、つまり4つの基本的な論理「A/B/A&B/notA&notB」(有/無/有&無/非有&非無)の否定も行います。

また、具体的属性の代表として、「八不」(不生不滅、不常不断、不一不異、不来不去)が論証されます。
その論法は、「一異門破」「五求門破」「三世門破」などと呼ばれる論法です。

このように「中論」では、概念や論理を、概念対象の実体性の否定のために使われます。

「中論」は「諸行(現象)」だけではなく、「涅槃」や「仏」の実体性も否定します。
ですから、「涅槃」は「輪廻」と、「仏」は「諸行」と、異なる存在ではないのです。
これは、仏教における、すべての宗教化、形而上学化、絶対化を否定するものです。

では、現象(諸法)の背後にある実在として、なんらかの基体を認めるでしょうか?
「中論」では、「空」には、「空」の直観を得て見た肯定的な世界を指すという側面もあります。
しかし、「中論」では、実在的な基体を論理的には表現しません。
ですが、後の中観派は、如来蔵思想の影響もあるのか、このような基体を認めるようになり、「空(性)」を基体のように受け止めます。


<歴史>

中期(5-7C)の中観派は、一般に「帰謬論証派」と「自立論証派」に分かれます。

「帰謬論証派」は、「空」でないと前提すると矛盾することを示すことで、帰納法的に「空」を論証します。
チャンドラキールティ(月称)、ブッダパーリタ(仏護)、シャーンティデーヴァ(寂天)などが代表的な人物です。

一方、「自立論証派」は、唯識派のディグナーガ(陳那)が作った形式論理学を使って、「空」を直接的に論証しようとします。
代表的な人物は、バーヴァヴィヴェーカ(清弁)です。

後期(8C―)の中観派は、「自立論証派」が主流となりますが、唯識派と総合されて「瑜伽行中観派」となります。
代表的な人物は、ジュニャーナガルバ(寂護)(8C)や、チベットにも仏教を伝えた、シャーンタラクシタ(寂護)、カマラシーラ(蓮華戒)などです。

ちなみに、密教やチベット仏教では、「帰謬論証派」が主流となります。


<実践>

般若経典をベースにして生まれた修行体系を「般若学」と呼びます。
般若経典を重視する中観派の実践は、「般若学」に基づきます。
「般若学」は「厳観荘厳論」(マイトレーヤ・4C)をベースにしています。

「現観荘厳論」の修行体系は、「戒・定・慧」の「三学」と、北伝仏教の修行体系の基本である「五道」、そして、大乗仏教の基本である「菩薩の十地」をベースにしています。
修行階梯は、「資糧道」、「加行道」、「見道」、「修道」、「無学道」という5段階で構成されます。

「現観荘厳論」の修行体系は、説一切有部の修行体系を基にして、それを大乗化したものです。
また、説一切有部の修行を否定するのではなく、まずそれを修めてから、大乗の修行を修めるべきとしています。

「資糧道」の段階では、初歩の「慧」まで進みます。
「加行道」では、止観一体の三昧で「空」を理解します。
「見道」では、菩薩の初地に入り、後天的な煩悩を断じます。
「修道」では、十地まで進み、先天的な煩悩と所知障を断じます。
「無学道」では、等引智と後得智が一体となり、仏地に到達します。

「見道」と「修道」における認識の対象は四諦です。
大乗仏教である「現観荘厳論」の特徴は、実体否定の「空思想」と、利他的な「菩薩道」です。

詳しくは、姉妹サイト「仏教の瞑想法と修行体系」の「現観荘厳論(中観派:弥勒)」をお読みください。


西方の神秘主義との比較で言うなら、中観派は徹底的な「否定の道」を選んでいると表現できるでしょう。
しかし、存在の母体、至高存在を積極的に語らないので、そこには「上昇」というベクトルを感じることはありません。
また、否定の後の肯定、下降を積極的に表現することもありません。 
 


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