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ヒンドゥー教神智学の時間論 [古代・中世インド]

ヒンドゥー教の聖典「ヴィシュヌ・プラーナ」で説かれる宇宙が生滅する循環宇宙論を紹介しましょう。
これによれば、宇宙の生滅は2重の構造を、文化を入れると3重の構造を持っています。
「倶舎論」で説かれているような部派仏教の世界観とも類似しているので、何らかの影響関係があったのでしょう。

宇宙の創造には2段階があります。
「インド・ヒンドゥー教の創造神話」で紹介したように、根源的な創造では、原初の水の中の原初の蛇の上に横たわるヴィシュヌ神が目を覚ますと、そのへそから宇宙蓮とともに創造神ブラフマーが生まれて宇宙を創造します。

2次的な創造では、ブラフマー神が様々な動物に姿を変えて以前の水没した宇宙を引き上げます。
そして、神々、人間の祖マヌ、生物、文化などを作ります。

まず、「ヴェーダ」の教えに基づいた地上の秩序ある世界は「クリタ・ユガ/トレーター・ユガ/ドヴァーパラ・ユガ/カリ・ユガ」という4段階を繰り返して432万年かかって生滅します。
この秩序ある世界が生滅する一生の時間の単位が「マハー・ユガ」です。

「カリ・ユガ」は「ヴァーダ」の教えが最も廃れる末法期で、この時期の最後には「7聖仙」と、ヴィシュヌ神の化身である白馬に乗った救世の英雄「カルキ」が現れそれを復活させます。
白馬に乗って現れるというのはミスラの神話を同じで、明らかにミスラ教の影響があります。
「カリ・ユガ」という考え方には、当時の外国勢力の相次ぐ侵入や、仏教の繁栄が反映しているものと思われます。

この秩序ある世界が1000回生滅する1000マハー・ユガが、ブラフマー神の1昼もしくは1夜に当たり、宇宙はブラフマー神の1日周期で生滅を繰り返します。
この時間を「カルパ」と呼びます。

また、この1カルパの間に14人の「人間の祖(マヌ)」が現れて、7聖仙や神々、マヌの子孫、地上の王達と共に地上を統治します。
現在は第7番目のマヌの時代に当たります。
つまり、ブラフマー神の1日の折り返し点の手前(明け方)なのです。

ブラフマー神の1日の終わりには、宇宙は形の上で一旦消滅します。
ヴィシュヌ神が破壊的な姿をとって、太陽の7光線の中に入り、地上の水分を蒸発させて7つの太陽となり、宇宙を燃焼させます。
次に、雲を吐き出して大雨によってそれを水没させ、さらに暴風によって雲を吹き飛ばします。
そして原初の龍の上で仮眠に入ります。

ブラフマー神の一生はヴィシュヌ神の1日であって、ブラフマー神の1日はヴィシュヌ神の瞬きあるいは一時的な仮眠のようなものです。
ブラフマー神の一生は72000カルパで、現在はちょうど折り返した次のカルパ(野猪のカルパ)に当たります。

ブラフマー神の一生の終わりには、宇宙は素材の上でも消滅します。
7層の元素が下から順に上のものに吸収されて消滅します。
こうしてすべてがヴィシュヌ神の中に吸収されます。
これがヴィシュヌ神の夜の眠りなのです。

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ヒンドゥー教神智学の空間論 [古代・中世インド]

宇宙の具体的な階層構造に関して、詳細な宇宙論を述べている「ヴィシュヌ・プラーナ」の宇宙論を紹介しましょう。
ここにも、オリエントの宇宙論の影響が感じられます。


まず、ヴィシュヌ神が7層の世界を生み出します。
これは上から「プラクリティ」、ブッディに相当する「大いなもの」、アハンカーラに相当する「元素の根源」、そして5大元素です。地の層は宇宙卵になります。
この宇宙卵は多数存在します。

宇宙卵の中の宇宙は大きく分けて7層に分けられます。
上にはまず、神々の住む4つの天上世界があります。そして、次に天界(スヴァル・ロカ)、空界(ブヴァル・ロカ)、地界(ブール・ロカ)です。天界(天球)は10層で構成されています。
上から順に「北極星/大熊座(7聖仙)/土星/木星/火星/金星/水星/星宿(オリエントの12宮に相当するもの)/月/太陽」です。空界はオリエントの月下界に相当する天球の下の空間です。地界は地上、地下、地獄を含みます。

また、地上の中心には「メール山」と呼ばれる巨大な黄金の山があります。
メール山の山頂にはブラフマー神の大宮殿があり、その八方には神々がいて世界を守護しています。
メール山の周辺には巨大な「ジャンプ樹」が生えていて、その果実からは不死の霊液を流れます。また、ブラフマー神の宮殿からガンジス川が四方に向かって流れていきます。
人間(インド人)が住んでいるのは「メール山」の南方の国で、唯一楽園ではない場所です。

これらはシャーマニズム神話の普遍的な要素です。
ですが、「世界山」や「世界樹」は古代ペルシャの宇宙論にもありますから、古代アーリア以来伝えられていたものか、後世にペルシャから伝わったものかもしれません。
 

(プラーナの宇宙論)
プラクリティ
大いなるもの(ブッディ)
元素の初源(アハンカーラ)
エーテル
---------
地(宇宙卵)
4天上界
天界
(北極星/大熊座/土星/
木星/火星/金星/
水星/星宿/月/太陽)
空界
地界
(地上/地下/地獄)

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ヒンドゥー教神智学の階層論 [古代・中世インド]

オリエントの宇宙論、ヴェーダーンタ哲学、サーンキヤ哲学、仏教などの影響を受けて作られた、ヒンドゥー教のプラーナ文献などに記された宇宙論を紹介しましょう。
これは、ヴァーダ以来の伝統的な思想を新たに統合したものと言えます。


まず、宇宙の根源である至高存在は「パラ・ブラフマン」と呼ばれます。
これはサーンキア哲学の「プルシャ」、ヴィシュヌ派の「ヴィシュヌ」、シヴァ派の「シヴァ」に相当します。パラ・ブラフマンは「有・知・歓喜」という性質を持ちます。

このパラ・ブラフマンからは物質的な存在(素材)、宇宙的な存在(マクロコスモス)、個的な存在(ミクロコスモス)がそれぞれ階層の高いものから順に生まれます。
階層は大きく分けて「原因的(極微)な段階/微細な段階/粗大な段階」の3つに分かれます。
この3つの段階はそれぞれ「熟睡/夢見/覚醒」の状態の意識に対応し、パラ・ブラフマンの段階は至高の「第4状態」の意識に対応します。

まず、物質的存在、素材の原因的段階は未開展物「アヴィヤクタ」です。
これは3つの運動傾向「サットヴァ、ラジャス、タマス」が均衡した状態です。
これはサーンキヤ哲学の「プラクリティ」、ヴェーダーンタの根源的な「マーヤー」、タントラ派・シャークタ派の「シャクティ」に相当します。
これが微細な段階では、まず、オリエントの第1質料に相当する「タンマートラ」となって、これから「微細な5大元素」となり、粗大な段階では微細な5大元素が結びつき合って「粗大な5大元素」となります。

次に、宇宙的存在は、原因的段階が(オリエントのデミウルゴスに相当する)宇宙創造神の「イシュワラ」です。
次に微細な段階が(オリエントの世界霊魂「アニマ・ムンディ」に相当する)宇宙自体の神である「ヒラニヤガルバ」です。
そして、粗大な段階が宇宙神の物質的身体である「ヴィラート」です。
宇宙創造神や世界霊魂は「ブラフマー」、「ヴィシュヴァカルマン」、「プラジャーパティ」などと呼ばれることもあります。

次に、個的な存在、生物存在の側面です。まず、パラ・ブラフマンがパラ・ブラフマンと同質なものとして、すべての生物の霊魂の根源である普遍霊「パラ・アートマン」を、さらに個的な霊である「ジヴァ・アートマン」あるいは単に「アートマン」を生みます。

人間にも3つの次元の存在があります。カルマによる種子を持つ霊的次元の「コーザル(カーラナ)・シャリーラ(原因体)」、魂的次元の「リンガ(スクシュマ)・シャリーラ(微細体)」、肉体である「ストゥーラ・シャリーラ(粗大体)」です。

また、より具体的な5つの段階の身体、真我を包む5つの鞘があります。
原因体に相当する「アーナンマダヤ・コーシャ(歓喜鞘)」、微細体でブッディに相当する「ヴィジュニヤーナマヤ・コーシャ(知性鞘)」、微細体でマナスとアハンカーラに相当する「マノマヤ・コーシャ(心の鞘)」、微細体でプラーナに相当する「プラーマナヤ・コーシャ(呼吸鞘)」、粗大体である「アンナマヤ・コーシャ(食物鞘)」です。


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ヨガ派の修行体系 [古代・中世インド]

バラモン系の「六派哲学」の一派である「ヨガ派」の聖典として、2-4世紀頃に編纂された「ヨガ・スートラ」の修行体系を紹介します。
これは心身の止滅による解脱のための実践論です。
しかし、そこには意識の階層性に関する理論があります。

「ヨガ・スートラ」のヨガは、精神のコントロールを行う瞑想法を中心にしていて、「古典ヨガ」と呼ばれます。
また、精神の止滅を目指す最終段階は、「ラージャ・ヨガ」と呼ばれます。

 後にタントリズムの影響で生まれる「ハタ・ヨガ」のような、身体的、力動的な呼吸法や座法、気(プラーナ)の本格的な操作は見られませんし、「パガヴァット・ギータ」で語られるような、信仰的、日常的、在家的なヨガでもありません。

「ヨガ・スートラ」はヨガを8段階からなる階梯に体系化しています。
そのため「八支ヨガ(アシュタンガ・ヨガ)」とも呼ばれます。

この「古典ヨガ」の方法は、ウパニシャッドや沙門が活躍した頃にはすでにある程度、形成されていたものと思われます。

ヨガ派はサーンキヤ哲学と関係が深く、ヨガ派が行う「古典ヨガ」の体験をもとにサーンキヤ哲学が生まれたと共に、サーンキヤ哲学によって「古典ヨガ」が体系化されてきました。
ちなみに、「ハタ・ヨガ」はヴェーダーンタ哲学やシヴァ派、シャークタ派と関係が深いのです。

また、仏教(アビダルマ仏教)が修行体系を宇宙論と結びつけて体系化していたので、その影響も受けています。

まず、その8段階の階梯を簡単に紹介しましょう。

①禁戒(ヤマ):不殺生、不淫などの倫理的戒律
②勧戒(ニヤマ):苦行や祈祷などによる浄化
③座法(アーサナ)
④調気法(プラーナーヤーマ):呼吸と連動したプラーナ(気)のコントロール、最終的には呼吸をなくす止息(クンバカ)
⑤制感(プラティヤーハーラ):感覚を外部の対象から分離して意識を内部に向ける

そして、最後の3つの段階は、総合的な精神コントロールとして結びついていて、「綜制(サンマヤ)」と呼ばれます。
仏教では「止(シャマタ)」と呼ばれます。

⑥凝念(ダラーナ、英語で「コンセントレーション」):意識を外界や身体の一点、あるいは特定のイメージや観念に集中して、他の心の動きを消す。一つの対象に対して多面的から集中することはある

⑦静慮(ディヤーナ、音訳して「禅」、英語で「メディテーション」):その一つの対象に対して、一面的、かつ持続的に集中する

⑧等持(サマディー、音訳して「三昧」、英語で「コンテンプレーション」):対象と完全に一体化する

「三昧(サマディー)」とほぼ同義語として「等至(サンスクリット語で「サマーパッティー」)」という言葉が使われることもあります。
これは直観的な知とも言えます。
「サンマヤ」は開眼でも閉眼でも行われますが、開眼で行う場合は外界の視覚を無視します。
以上の8段階のうちの「サンマヤ」の3段階は、対象に対する意識、心のあり方によって分類されていますが、さらに、対象の微細さの差による分類も生まれました。
これを見ると、瞑想によって順にどのような意識の状態が生まれてくるのかが良く理解できます。

8段階の実践体系の⑧「三昧」は、主客の意識が消えた対象との一体化を意味しました。
仏教が瞑想の高い段階を詳細に分類した体系を作ったために、ヨガ行派もこの影響を受けて、「三昧」の段階を、その対象によって更に細かく分類したのです。

まず、「三昧」はそれがイメージのような形のある心の働きを残したものであるかどうかで、「有想三昧(有種子三昧)」と「無想三昧(無種子三昧)」に分かれます。
さらに「有想三昧」は、物質的なものを対象にする粗大な心の働きがある「有尋三昧」、それがなくなり非物質的なものを対象とする微細な心の働きだけがある「有伺三昧」、さらにそれもなくなり対象が消滅して穏やかな心地良さだけにある「有楽三昧」、心地良さも消滅して自分の存在感覚だけになる「有我想三昧」の4つ段階に分かれます。

ここには、仏教の「四禅」「四無色界定」の体系の影響を感じます。
仏教と違うのは、サーンキヤ哲学を基にしていて、「尋」の対象を「粗大な五大」と「11根」、 「伺」の対象を「微細な五大」、「アハンカーラ」、「ブッディ」と考えるところです。

また、「有種子三昧」と表現される場合は、「有尋定」、「無尋定」、「有伺定」、「無伺定」という4分類がなされます。

「無伺定」では、内面が清澄になり、「真智(プラジュニャー)」が発現し、他の行(潜在印象)が現れるのを妨げます。

「無種子三昧」では、対象がなくなり、「真智」も停止し、心が止滅し、プルシャと対面します。
そのためには、「離欲」が必要とされます。
この段階は、「綜制(サンマヤ)」を超えた段階だとされます。

ただ、サーンキヤ哲学的には、「心」が停止・止滅するといっても、「心」が本当になくなるとは考えません。
止滅の行(潜在印象)だけが存続し、心自体が流動変化しなくなるのです。

(ヨガの実践体系)
⑧三昧・等持(サマディー)=等至(サマーパッティー)
 ・無想(無種子)三昧:心の止滅
 ・有想(有種子)三昧:有形対象への一体化
   無伺三昧(有我想三昧・有楽三昧):真智の発現
   有伺三昧:微細な対象に一体化
   有尋三昧:粗大な対象に一体化
⑦静慮=禅(ディヤーナ):一面的集中の持続
⑥凝念(ダラーナ):一つの対象に集中
⑤感覚の外部対象からの分離
④呼吸法
③座法
②浄化法
①倫理的禁戒

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ヴェーダーンタ哲学 [古代・中世インド]

バラモン系「六派哲学」の一派のヴェーダーンタ哲学は「ヴェーダ」、特にその奥義であるウパニシャッドの研究を目的とするインド哲学の最大の学派です。
-2~3Cのジャイミンに始まり、5Cの「ブラフマ・スートラ」、バルトリハリの「語一元論」と展開して、8Cのシャンカラの「不二一元論」によって大成されました。

ヴェーダーンタ哲学は「ブラフマン」の1元論を唱えます。
そして、個人の真我「アートマン」がそれに等しいことを知ることによって解脱すると考えます。

ブラフマンは宇宙のすべてを生み出す根源です。
ブラフマンの代表的な性質は「有(サット)」、「知(チット)」、「歓喜(アーナンダ)」です。
これはオリエント・ギリシャの神智学と同様ですが、光という性質は強調されていません。
ブラフマンには抽象的な中性の原理という性質と、人格神的な男性神としての性質の両方があって、ヴェーダーンタ哲学の中でも人によってその捉え方は様々です。

ブラフマンは無目的に遊戯として世界と個我を開展します。
「虚空、風、火、水、地」という順に「微細な5大元素」と「粗大な5大元素」を生みます。
これらから「アンターカラーナ(内官)」、「プラーナ」、「5行動器官」、「5感覚器官」が構成されます。
これらは人間の魂の体である「微細身」と肉体である「粗大身」で、「アートマン(真の個我)」がここに入ります。
アンターカラーナはサーンキヤ哲学のブッディとマナスに相当するものです。

アートマンは4つの階層に対応する意識状態を廻ります。
「覚醒/夢見/熟睡/第4状態」です。

覚醒状態の時にはアンターカラーナや5感覚器官が働いています。
夢見状態の時にはアンターカラーナのみが働いていて、覚醒時の体験の潜在印象で作られる世界を体験します。
熟睡状態の時にはアンターカラーナも働かず、アートマンは認識の対象がない「純粋な知」の状態にあります。
ですが、覚醒や夢見の状態の潜在的な可能性としての種子が存在する状態です。
この種子を止滅させて解脱したアートマン=ブラフマンの状態が第4状態です。

     (アートマンの4状態)

  第4状態  :解脱、=ブラフマンの状態
  熟睡状態 :純粋な知、種子の状態
  夢見状態 :アンターカラーナ(潜在印象)の活動状態
  覚醒状態 :アンターカラーナと5感覚器官の活動状態

 
バルトリハリは一種の言語神秘主義思想によってヴェーダーンタ哲学を発展させました。
彼によれば、ブラフマンは否定的にしか表現できない純粋なブラフマンと、世界原因であって言葉であるブラフマンの2つの階層に分けられます。
世界原因はサーンキヤ哲学のプラクリティに相当するもので、それが言葉という点ではストア派の「ロゴス」に近い存在でしょう。

彼は言葉の本質を音声の中で意味を現す存在である「スポータ」であるとしました。
彼によれば、言葉・意味は4つの階層で現れます。
まず、ブラフマンである「最高の言葉」、次に虚空の最初の振動である「見つつある言葉」、音声の微少部分である「中間の言葉」、最後が人間の言葉である「文節された言葉」です。

シャンカラの頃のヴェーダーンタ哲学は仏教の影響も受けて非実態主義的な傾向を持ちました。
シャンカラの哲学は「幻影主義的不二一元論」と呼ばれます。

彼によればブラフマン(とアートマン)以外は実際には実在しない幻のようなものなのです。
それらは「無明(マーヤー)」と呼ばれる認識の間違いによって、存在しない幻が投影されたものでしかないのです。
ブラフマン以外の宇宙は実在しないものなので、宇宙は開展されたものではなくて、単に「仮現」されたものなのです。
無明がなくなると、宇宙はすべてブラフマンとしての姿を現わします。

シャンカラはバルトリハリの考えを受けてか、ブララフマンの中にある「未開展の名称・形態」というものが、宇宙の仮現のもとになると考えました。
あらゆる形・性質を可能性として宿している存在です。
ですが、シャンカラ以外のヴェーダーンタ派の哲学はこれを認めず、代わりに「無明」を宇宙的な原理として考えて、これがブラフマンを隠し、開展する力と考えられました。

また、シャンカラによれば、純粋な意識の主体であるアートマンがブッディ(アンターカラーナ)を照らし、その像を映すことによって、ブッディが意識を持つ主体であるかのように誤解をするのです。
この「像」という発想はオリエントの思想を思い出させます。

その後、10Cにはラーマーヌジャがバクティ思想に傾倒したヴェーダーンタ哲学を展開します。
彼はブラフマンをヴィシュヌ教のナーラーヤナと同一視します。
ブラフマンは遊戯として、純粋精神(プルシャ)=個我(アートマン)と根本物質(プラクリティ)を自分の中から分離して世界を創造します。
このように、サーンキヤ哲学をも取り入れています。
個我も世界もブラフマン同様に実在であり、不一不異です。
このため、「被限定不二一元論」と呼ばれます。

また、15Cのヴァッラバの思想は「純粋不二一元論」と呼ばれますが、三者を実在とし、バクティを重視するので、ラーマーヌジャと類似しています。
しかし、何の努力もせず、神に近づくすべを持たない者に、神によって与えられる「プシュティ・バクティ」を重視したのが特徴です。
これはゾクチェンや親鸞の他力に近い思想でしょう。
 

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サーンキヤ哲学 [古代・中世インド]

インドでは哲学的思考を「ダルシャナ」と呼びます。
グプタ朝期に成立したバラモン系の「六派哲学」の中で神智学的傾向の強いのがサーンキヤ哲学(サーンキヤ派)とヴェーダーンタ哲学(ヴェーダーンタ派)です。

サーンキヤ哲学は-3~4Cのカピラに始まり、4Cのイーシュヴァラ・クリシュナの「サーンキヤ・カーリカー」によって体系化されました。
サーンキヤ哲学は神話的な原人「プルシャ」を抽象化してアートマン同様の「真我」としました。

プルシャは観察するだけの純粋な意識原理で、常に解脱の状態にあります。
プルシャは多数存在して、すべてのプルシャの根源である「最高我」と同じにして異なるものだとされます。
サーンキヤ哲学が問題とするのは、この純粋な意識からこれ以外のすべてを排除して、本来の姿を見い出すことです。
サーンキヤ哲学はこの実践に適したように哲学されたためにプルシャとそれ以外の要素という2元論の形をとったのです。
ですから、この2元論はゾロアスター教的な善悪の2元論とは異なります。

純粋意識であるプルシャ以外のすべてのもの、つまり精神世界や物質世界は根本物質である「プラクリティ」から流出します。
インドでは流出を「パリナマ」と言い、日本のインド学ではこれを「開展」と訳します。
プラクリティはすべての現われが生まれる根源なので「アヴィヤクタ(未開展物)」とも呼ばれます。

ただ、プラクリティには内部構造があって、3つの要素が平衡した状態です。
これらは、光、快楽を特徴とする「サットヴァ」、活動と不快を特徴とする「ラジャス」、闇と抑制を特徴とする「タマス」です。
このように物質を元素ではなくて根源的な傾向によって分類する発想は、錬金術で「硫黄、水銀、塩」の3つの傾向を考えることに似ています。

プルシャは世界を享楽し、やがて解脱するためにプラクリティを眺めます。
つまり、インド古典思想としては珍しく、サーンキヤ哲学は宇宙創造の意味を認めているのです。

すると、プラクリティはラジャスが活動を始めて平衡状態が破れ、世界が生まれます。
まず、「ブッディ(思考・判断作用)」、「アハンカーラ(自我意識)」、「マナス(識別作用)」、「5感覚器官」、「5行動器官」が順次生まれます。
さらに5感覚器官から「微細な5大元素」、そして「粗大な5大元素」を生みます。サーンキヤ哲学ではギリシャ哲学でいうヌースのような直観的知性を宇宙論的には考えません。

サーンキヤの実践の方法論として「八成就」があります。
これは仏教の「八正道」のようなものでしょう。
「思量(考える)」、「声(教えを受ける)」、「読誦(師のもとでの学習)」、「依内苦滅(自分の心身の苦を滅する)」、「依外苦滅(他人などによる苦を滅する)」、「依天苦滅(自然や鬼神による苦を滅する)」、「友を得る」、「布施(長期的な学習)」の8つです。

また、瞑想の階梯として「6行観」があります。
これは「粗大な5大元素」、「十一根(5感覚器官・行動器官・マナス)」、「微細な5大元素」、「アハンカーラ」、「ブッディ」、「プラクリティ」の6種類の対象に関して、順に、それが自分自身ではないと理解して離れる、という瞑想法です。
つまり、プラクリティの開展物を一つ一つ自分自身から切り離していく瞑想です。
これは古代の原始仏教が「色(外界の対象)・受(感覚作用)・想(感覚像)・行(感情や意志)・識(識別作用)」という認識プロセスのどの段階も真我ではないと分析したことと似ていま。

サーンキヤ哲はバラモン教「六派哲学」の「ヨガ派」やヒンドゥー教の「ジュニャーナ・ヨガ」の基礎教学となりましたが、中世に徐々に衰退し、ヴェーダーンタ哲学に吸収されていきました。

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