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3つのプレ・ルネサンス [中世ユダヤ・キリスト教]

ローマ帝国の東西分裂、529年のアカデメイアの閉鎖・哲学の禁止と、イスラム帝国の台頭によるオリエントとの貿易行路の遮断によって、中世ヨーロッパ世界(ローマ世界)は高度な古代文化から退化すると同時に、それらを受け継いだ文化的先進地であるペルシャ・イスラム世界に対して鎖国状態となりました。
さらに、ヨーロッパ世界内でも、西方のラテン=ローマ・カトリック世界(西ローマ帝国→フランク王国→神聖ローマ帝国)は、わずかに古代文化を継承していた東方のギリシャ=ビザンチン世界(東ローマ帝国)に対しても鎖国状態になりました。
 
ですが、中世期を通じて徐々に古代思想、オリエント神智学が復興されていきました。
この復興は「ルネサンス(文芸復興)」と表現されます。
15Cにイタリアで本格的に起こる大きなルネサンスに対して、それまでに3つの小さなルネサンスがありました。  

まず、東方のギリシャ世界では、9Cにフォーティオスを中心に百科全書主義的な運動が起こって、新プラトン主義を含む若干の古代思想が復活しました。
そして、11Cにはミハエル・プセロスがビザンチン皇帝の支持を受けてコンスタンチノープルにアカデメイアを復活させました。
彼は新プラトン主義、特にプロクロスに傾倒して、「カルデア人の神託」にも興味を示しました。
一方、ヨハネス・イタロスはアリストテレス論理学を神学に導入しました。

こうして、ビザンチンでは異端視の危険をはらみながらも、プラトン主義とアリストテレス主義が対立がしながら継続しました。
この一連の運動は「ビザンチン・ルネサンス」と呼ばれます。

一方、西方のラテン世界では、800年にローマ帝国の帝冠を受けたフランク王国カロリング朝のカール大帝が、その前後に文芸の復興を行い、多くの学校を作りました。
西方世界で古代哲学が継承されていたのはイングランドのみでしたので、イングランドからアルクインを側近に向かえました。
彼はイギリスのヨークから多くの文献を輸入しました。
この9世紀の文芸復興は「カロリング・ルネサンス」と呼ばれます。

その後、11C頃から徐々に都市が発展を始め、十字軍によるコンスタンチノープルとエルサレム攻略によって商業ルートも確立されます。
こうして北イタリアを中心にユダヤ人、アラブ人も住む国際都市が発展します。
また、11C末にはイスラム勢力に支配されていたスペインで国土回復運動が活発になって1085年にはトレドを奪回し、イスラムで継承・発展させられていたギリシャ哲学が、アラビア語からユダヤ人達を介してラテン語に翻訳され始めます。

12Cにはこのような時代を背景に、修道院ではシャルトル学派やサン・ヴィクトル学派によってプラトン主義、ピタゴラス主義、アウグスティヌス主義的なキリスト教思想が発達しました。
一方、都市部では、弁証法(討論による教授・探究法)と論理学が発展しました。
この方法は「スコラ」と呼ばれます。

また、トレドのユダヤ人経由でイスラム哲学のイブン・スィーナー(アヴィセンナ)が紹介され、教父達によってキリスト教化された新プラトン主義とは異なる、イスラム教徒によって一神教化された新プラトン主義がラテン世界に輸入されました。
これらの動向は「12Cルネサンス」と呼ばれます。

また、ルネサンスに反対する動きもありました。
これを代表するのはシトー修道院のベルナールです。
彼は哲学や神学を批判しました。

ですが、キリスト教神秘思想という点では、シトー修道院のヨアキム・デ・フィオレが興味深い教説を展開しました。
律法が支配する旧約の「父の時代」、信仰が支配する新約の「子の時代」に続いて、1260年から新たな自由と愛が支配する「聖霊の時代」が始まると預言したのです。
彼の説はその後のキリスト教思想に大きな影響を与えました。

 


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