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大乗仏教の誕生 [古代・中世インド]

大乗仏教は、イラン系のサカ族、パルティア、クシャーナ朝、ササン朝などがインドを支配した時代に、イラン文化の影響の強い西北インドや中央アジアを中心に発展しました。
特に、インターナショナルな志向を持った帝国であるクシャーナ朝のもと、ヘレニズム的な宗教的シンクレティズム、マニ教などのイランの宗教、ギリシャの宗教、グノーシス主義などの影響を受け、普遍化して生まれたのが大乗仏教でしょう。

大乗仏教の特徴は、民衆救済重視・讃菩薩(華厳経)、仏に関する有神論・汎神論的傾向(法華経、涅槃経)、在家主義(維摩経)、空思想(般若経)、経典の文学的傾向、経典信仰などです。

中でも、大乗仏教の最大の特徴は、「他者救済」であり、その実践者としての「菩薩」を讃えることです。
部派仏教が目指すのは「解脱」した「阿羅漢」ですが、大乗仏教が目指すのは「他者救済」を行う「仏」であり、その道を歩む「菩薩」です。
それゆえ、従来の仏の部派仏教を「声聞乗/小乗」、自らを「菩薩乗/大乗」と称しました。
大乗仏教では「他者救済」が優先されるので、「解脱」は実質的に、無限に引き伸ばされる傾向があります。

他者を救済するためには、単に「煩悩」をなくすのではなく、そのための「智慧」が必要です。
他者に対する完全な理解である「一切種智」や、説法において真理を言葉で伝えることのできる「後得智」です。
ですから、部派仏教の聖者の段階である「四双八輩」が「煩悩をなくしていく度合い」によって決められているのに対して、大乗仏教の「菩薩の十地」には、利他を行える能力の度合いがプラスされます。

「維摩経」が主張するように、「他者救済」のためには、出家するより、在家にいるべきだという考え方もあります。 
「煩悩を断じずに涅槃に入るのが本当の三昧であり釈迦の教えである」と言い、「在家にいながら執着をなくし、清浄な戒律と修行を行うべき」と言います。
仏教が、出家を否定ないしは相対化し、在家や現世に意味を見出す思想へと変化していきます。


大乗仏教運動がどのようにして始まったのかは、ほとんど分かっていません。
おろらく、一つの起源を見つけることはできないでしょう。

大乗仏教の初期の経典が作られ始めたのは、-1C頃です。
しかし、大乗仏教の教団が確認されているのは5C頃です。
つまり、大乗仏教は500年くらいは、部派仏教教団内において、そのあり方に対する反対運動として存在したと言えるかもしれません。
大乗仏教は、長らく、部派(仏教内の異なる教団である宗派)の中で、それを越えて形成された「学派」であり、その学派の「経典作成運動」だったのです。

大乗仏教の誕生は、インドにおける民衆的なヒンドゥー教の誕生と類似したところがあります。
吟遊詩人や文学的背説法師のような存在が重要な役割を果たしたらしいことも共通点です。

また、ヘレニズム文化としては、キリスト教の誕生と類似したところがあります。
ですから、イラン系の救済宗教(マニ教、ミスラ教、ゾロアスター教)の影響を大きく受けたと考えられます。

大乗仏教の背景としては、当時、広がりを見せていた仏塔信仰が考えられます。
仏塔は、部派仏教教団に属するものもありましたが、仏塔で活動していた在家信者向けの説法師が、大乗仏教の背景を作っていったという側面も考えられます。
「仏舎利」に対する信仰が、徐々に、抽象的で不滅の「仏」へと昇華されていきました。

もう一つの背景として考えられているのは、「仏伝文学」(特に釈迦の前世物語である「ジャータカ」)とそれを担った詩人達です。
釈迦は前世において、燃燈仏に出会って、人々を救う誓願を行って菩薩となり、解脱の予言を受け、転生後に成仏しました。
大乗仏教は、この釈迦の前世の伝記物語を前提とし、それをならうものでした。

仏伝文学は超部派的存在で、「讃仏乗」と呼ばれることもあります。
仏伝文学では、大乗仏教の基本教義となる「六波羅蜜」や「十地」が生まれました。 
この流れが、原始仏典と比較してはるかに文学(物語)的な、大乗の経典につながるのでしょう。

もちろん、大乗仏教には、中観派や唯識派につながるような、学問僧(アビダルマ師)や修行僧(瑜伽師)が作ってきた部分があります。
特定の部派の教団を越えて、各教団内に「大乗学派」の僧がいたのでしょう。
初期の大乗仏教は、単に出家主義を批判するだけでなく、森の中での修行を薦めていましたが、これは瑜伽師の流れでの主張でしょう。

経典作成に関して言えば、それは大乗学派に特別なものではありませんでした。
紀元前頃から、インド哲学諸派も含めて、部派間では盛んに教義論争が行われ、互いに影響を受けながら、自らの教説を生み出してきました。
そして、その教説を元に、「経」や「論」を修正したり、新しく作成したり、「三蔵」に今まで入っていなかった文献を入れたりしました。
「経」を論じた「論(アビダルマ)」は、直接的には明らかに仏説ではありませんが、各部派は、それを「ブッダの言葉」であると認定しました。
「法性」とか、「埋没経」という観点から、仏説に矛盾しない文献や、従来知られていなかった文献も、「ブッダの言葉」と認めて、「三蔵」に入れることができるとしたのです。
さらに、従来の経典も、「未了義」なので「裏の意味」があると、新説で解釈できれば、新説も仏説にできるとしました。
その延長に大乗経典の作成が行われたのです。

また、大乗学派と伝統的な学派は、同じ部派の教団内部で、共存し、必ずしも排他的ではなかったのです。
つまり、部派教団において、大乗学派を仏説として認めていたのです。
例えば、法蔵部などは、「三蔵」に新しく大乗系と思われる「菩薩蔵」を付け加えています。
また、中国僧の義浄は、「四つの部派の中で大乗と小乗の区別は定まらない」と報告しています。


最初の大乗仏教の教団は、確認されている範囲では、べンガル、オリッサなど、周辺地域から生まれたようです。
エフタル(フン族の一派?)の侵攻によって、従来の部派仏教の寺院や経済基盤が破壊されたことが、新しく大乗仏教教団の誕生の一因になったのかもしれません。


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