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サーンキヤ哲学 [古代・中世インド]

インドでは哲学的思考を「ダルシャナ」と呼びます。
グプタ朝期に成立したバラモン系の「六派哲学」の中で神智学的傾向の強いのがサーンキヤ哲学(サーンキヤ派)とヴェーダーンタ哲学(ヴェーダーンタ派)です。

サーンキヤ哲学は-3~4Cのカピラに始まり、4Cのイーシュヴァラ・クリシュナの「サーンキヤ・カーリカー」によって体系化されました。
サーンキヤ哲学は神話的な原人「プルシャ」を抽象化してアートマン同様の「真我」としました。

プルシャは観察するだけの純粋な意識原理で、常に解脱の状態にあります。
プルシャは多数存在して、すべてのプルシャの根源である「最高我」と同じにして異なるものだとされます。
サーンキヤ哲学が問題とするのは、この純粋な意識からこれ以外のすべてを排除して、本来の姿を見い出すことです。
サーンキヤ哲学はこの実践に適したように哲学されたためにプルシャとそれ以外の要素という2元論の形をとったのです。
ですから、この2元論はゾロアスター教的な善悪の2元論とは異なります。

純粋意識であるプルシャ以外のすべてのもの、つまり精神世界や物質世界は根本物質である「プラクリティ」から流出します。
インドでは流出を「パリナマ」と言い、日本のインド学ではこれを「開展」と訳します。
プラクリティはすべての現われが生まれる根源なので「アヴィヤクタ(未開展物)」とも呼ばれます。

ただ、プラクリティには内部構造があって、3つの要素が平衡した状態です。
これらは、光、快楽を特徴とする「サットヴァ」、活動と不快を特徴とする「ラジャス」、闇と抑制を特徴とする「タマス」です。
このように物質を元素ではなくて根源的な傾向によって分類する発想は、錬金術で「硫黄、水銀、塩」の3つの傾向を考えることに似ています。

プルシャは世界を享楽し、やがて解脱するためにプラクリティを眺めます。
つまり、インド古典思想としては珍しく、サーンキヤ哲学は宇宙創造の意味を認めているのです。

すると、プラクリティはラジャスが活動を始めて平衡状態が破れ、世界が生まれます。
まず、「ブッディ(思考・判断作用)」、「アハンカーラ(自我意識)」、「マナス(識別作用)」、「5感覚器官」、「5行動器官」が順次生まれます。
さらに5感覚器官から「微細な5大元素」、そして「粗大な5大元素」を生みます。サーンキヤ哲学ではギリシャ哲学でいうヌースのような直観的知性を宇宙論的には考えません。

サーンキヤの実践の方法論として「八成就」があります。
これは仏教の「八正道」のようなものでしょう。
「思量(考える)」、「声(教えを受ける)」、「読誦(師のもとでの学習)」、「依内苦滅(自分の心身の苦を滅する)」、「依外苦滅(他人などによる苦を滅する)」、「依天苦滅(自然や鬼神による苦を滅する)」、「友を得る」、「布施(長期的な学習)」の8つです。

また、瞑想の階梯として「6行観」があります。
これは「粗大な5大元素」、「十一根(5感覚器官・行動器官・マナス)」、「微細な5大元素」、「アハンカーラ」、「ブッディ」、「プラクリティ」の6種類の対象に関して、順に、それが自分自身ではないと理解して離れる、という瞑想法です。
つまり、プラクリティの開展物を一つ一つ自分自身から切り離していく瞑想です。
これは古代の原始仏教が「色(外界の対象)・受(感覚作用)・想(感覚像)・行(感情や意志)・識(識別作用)」という認識プロセスのどの段階も真我ではないと分析したことと似ていま。

サーンキヤ哲はバラモン教「六派哲学」の「ヨガ派」やヒンドゥー教の「ジュニャーナ・ヨガ」の基礎教学となりましたが、中世に徐々に衰退し、ヴェーダーンタ哲学に吸収されていきました。

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