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古代から中世へ [古代・中世インド]

最初にインドの古代から中世にかけての宗教史を押さえておきましょう。

<ヴェーダの思想>

-12~13Cインドに侵入して支配層となった半農半牧のアーリア人の宗教は、「ヴェーダ」を聖典としたバラモン教です。
その特徴は、現世利益を目的とする多神教的な呪術的思想です。
ですから、宇宙と人間の心身、神の世界と自然界が対応関係を持っているという万物照応の世界観が基本です。
儀式における象徴的要素やマントラによって、象徴や自然の背後にある本質的な力、呪術的な力(「ブラフマン」と呼ばれていました)をコントロールして、人間の欲望を実現させるのがヴェーダの思想です。
バラモン達は森林部を開拓して原住民の農業を基盤とした支配体制を生み出しました。

<反ヴェーダの思想>

ですが、-7~5C頃に商業の発達・都市化と共に、輪廻からの解脱を目指す非バラモン的(非アーリア的)な新しい思想が生まれました。
伝統的な身分制であるカースト制を否定する異端派の仏教やジャイナ教です。
彼らはバラモンではなくシャラマナ(沙門)と呼ばれ、森林部で修行し、都市部で勢力を延ばしました。

彼らの思想の特徴は、解脱を目指す現世否定的な思想です。
儀式ではなく瞑想法であるヨガによって、すべての心身の作用を死滅させて、究極的な存在・意識を見出します。
この現世否定的傾向は、その後のインド思想に大きな影響を与えました。

また、非バラモン的な思想の影響を受けて、バラモンの間でも「ヴェーダ」の奥義的な哲学的思想である「ウパニシャッド」が生まれました。

いずれも人格神論ではなく抽象的な原理や、抽象的な原理としての神を問題にしました。
これは否定的にしか表現できないものとされることが多く、否定神学的な傾向がありました。

また、同時期少し異なる流れですが、8C頃に、北インドの遊牧民ヤーヴァダ族のクリシュナ(ヴァースデーヴァ)が、バガヴァッド(ヴァースデーヴァ)と呼ばれる太陽神への献身的な信仰を宗教を生み出しました。
これはバーガヴァタ派と呼ばれ、後のクリシュナ信仰につながります。

<ヘレニズムの影響>

-4Cのアレキサンダーのインド遠征以降、紀元後の頃までギリシャ人のバクトリアや、イラン系のサカ、パルチア、クシャーナなどの民族が次々とインド北西部に侵入しました。
こうして、インド思想とギリシャ・オリエント思想(ヘレニズム思想)が交流しました。

仏教を保護したのは、他地域との交易や多民族性を特徴とする外来系のインターナショナルな王朝でした。
特にマウリア朝は仏教を国教として、積極的にエジプト、ギリシャまで仏教を伝えました。

ちなみに、バクトリアはプラトン一族、新プラトン主義を始めたアンモニオス・サッカスはサカ族出身ということもあり、新プラトン主義のプロティノスには「華厳経」などの仏教の影響があるという説もあります。
 

また、仏教はイラン系宗教の影響から、有神論的・人格神的で救済的な大乗仏教を生み出しました。
大乗仏教の多くは、東イラン・中央アジア地域で発達しました。

<ヒンドゥー教の誕生>

一方、バラモン教は、仏教・ジャイナ教に対抗して、非アーリアンのドラヴィダ人の宗教観を吸収して、救済的・有神論的・民衆的なヒンドゥー教が生まれました。
2大叙事詩が聖典です。
その一部であるバァーガヴァタ派に由来する「バガヴァッド・ギーター」は、献身・帰依を重視し、バクティヨガ、カルマ・ヨガ、ジュニャーナ・ヨガが説かれます。
ヒンドゥー教は基本的には4つのカーストのうち上位の3カーストだけを救いの対象としていました。

4世紀にはグプタ朝という純粋な民族国家が生まれたため、バラモン・ヒンドゥー教のルネッサンスと仏教の弾圧が興りました。
グプタ朝期には、叙事詩的な形式を持つ「プラーナ」と呼ばれる聖典が作られました。
また、「六派哲学」と呼ばれる哲学諸派も形成されました。
「六派哲学」の中でも神秘主義的思想として重要なのは、1元論の「ヴェーダーンタ派」、2元論の「サーンキヤ派」、そしてサーンキア哲学をもとにした実践的な「ヨガ派」です。 
「六派哲学」の聖典は「スートラ」と呼ばれます。

ヒンドゥー教はインドの雑多な民族宗教を指す言葉です。
ゾロアスター教がマズダ教、ミスラ教、アナーヒター教、ズルワン教などのペルシャの諸宗教の総称でもあったように、ヒンドゥー教もヴィシュヌ教、シヴァ教、クリシュナ教、ドゥルーガー教などの総称です。
仏教、ジャイナ教、シク教(ヒンドゥー教とイスラム教の影響を受けた宗教)、そして原住民のマソーバー(水牛崇拝宗教)やマリアイ(女神崇拝宗教)もヒンドゥー教に含むと考えることもあります。

<タントラ>

5世紀には西ローマ帝国を亡ぼしたフン族(匈奴)がインドに侵入し、貨幣経済を破壊しました。
そのため、都市部の商工業者を中心に仏教やジャイナ教は衰退し、インドは中世を向かえます。

その後、仏教は都市周辺の斎場のアウト・カーストの原住民の性的儀礼を持つ母神信仰を取り込み、フン族のシャーマニズム、イラン思想の影響も受け入れながらタントリズム(密教)を生み出しました。
これはジャイナ教、ヒンドゥー教にまで広がって大きな思想運動になりました。

厳密に言えば、「タントラ」と呼ばれる聖典を持つのは、母神信仰をベースにしたシャークタ派だけです。
しかし、シヴァ派の聖典「アーガマ」、ヴィシュヌ派の聖典「サンヒター」も含めて、広義に「タントラ」と呼ばれます。
仏教の場合は中期密教までの経典は「スートラ」ですが、後期密教で「タントラ」となります。

タントリズムは神秘主義色が濃い思想です。
その特徴は、万物照応の世界観を押し進めて、肉体を否定せずにその中にある聖なる部分を探究しました。
具体的には霊的な生理学に基づくヨガと、マントラや神像のイメージを象徴として使った瞑想です。
これにより、心身を徹底的に活性化する、現世肯定的思想となりました。

<イスラム到来>

8C(一説では10C)には、ササン朝の崩壊によってゾロアスター教徒がインドに亡命し、パルシー教と呼ばれるようになります。

10C頃にはイスラム勢力がインドに侵入しました。
そして、スーフィー達が布教にやってきました。
12Cにはイブン・アラビの影響を受けたチシュティー派や、スフラワルディー教団が布教にやってきます。
スーフィー達の愛の神秘主義の影響を受けながら、民衆的なバクティ(帰依・親愛)思想が盛んになります。

また、イスラム教のスーパー・シーア派は、10Cにパミール地方に進出し、15Cにはカシミール、パンジャブ地方に進出しました。
イスマーイール派は16Cにインド、パキスタンに進出し、現在はホジャ派と呼ばれています。
イスマーイール・ニザール派はパミールでスーパー・シーア派とヒンドゥー教を習合してパミール派を興し、その後もインド、パキスタンに進出しました。

16Cには、カビールやナーナクによってヒンドゥー教とイスラム教(スーフィズム)を統合したシク教が生み出されます。
シク教はあらゆる形式主義を廃する方向で、まったく異なる2つの宗教を統合したため、結果的には神秘主義的傾向を持つ宗教となりました。

トルコ系のムガール帝国のアクバル大帝も、ヒンドゥー系諸派と、イスラム系諸派、パルシー教、ジャイナ教、キリスト教などを統合した総合宗教「神の宗教」を創始しようとしました。

また、仏教は反ヒンドゥー教としての存在意義をイスラム教に奪われ、一旦インドで滅びました。
 


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