So-net無料ブログ作成
検索選択

イブン・アラビーの神智学 [イスラム教]

イブン・アラビーは11C後半にスペインに生まれて、その後、東方に移住してシリアを中心に活動し著作を行いました。
彼は新プラトン主義的なファルサファを学ぶ一方、各地のスーフィーの教団から秘儀伝授を受けました。
また、インドのタントリストのように弟子を直接精神に導くことを行っていたヒドルという聖者からの導きをも得ました。

また、彼が少年の時に、当時老年となっていた理性的人間の代表とでも言うべき哲学者イブン・ルシドと体面した時の話は伝説となって語られています。
イブン・ルシドはアラビーが弟子になりに来たと思って、彼に霊感によって何を得たのかと尋ねると、アラビーは「イエスとノー。イエスからノーへの間で精神は物質から離脱し、頭は胴体から切り離されました」と答えました。
これが理性を超えた世界の重要性を主張する答えだと理解したイブン・ルシドは、体を震わせてこの返答を恐れたといいます。

彼はイスラム教にこだわることなく、すべての神秘主義的、宗教的伝統の本質的な同一性を主張しました。
また、彼は理性的にではなく、神的な霊感のもとで著作を行いました。
彼の抽象的な哲学の背景には、様々な霊的ヴィジョンがあるのです。
そのため、彼の著作では象徴的な表現が重要な役割を果たしています。

イブン・アラビーにとって神は「絶対的一性」です。
これは「(純粋)存在」、「秘中の秘」、「不可知」、「(人間にとって)暗闇」とも表現されます。

彼はプロティノス同様に、宇宙は神によって一瞬ごとに創造されつつそこに帰還する存在です。
宇宙の創造は「神の息吹」であって、まず、「アルファベット」で象徴される根源的な可能性として創造されるのです。
この段階の存在は一でありながら多であるので「矛盾的一性」、「相対的一性」と表現されます。
また、「有と無の中間」、「神の自己意識」、「第1の知」、「類の類」、「第1質料」、「永遠の原型」、「知性的存在」、「天使」、「神の名」、「ロゴス」とも表現されます。

これらの表現を見ると、この段階にはプラトン以来の主知的な傾向を感じますが、決して静的な普遍概念ではなく、動的な「根元的イメージ」としての側面を持つ世界なのです。
そして、彼が天使と呼ぶものは、諸能力と感覚器官に隠された力だと言います。
彼の中で、知性的・直観的なものと感性的・直感的なものは明確に区別されていないようです。

イブン・アラビーは想像力を3つのレベルで考えました。
一番下のレベルが人間の魂レベル。
個人的な魂に関するレベルです。
次が宇宙的なレベル。精霊が住み、天使が預言者に啓示するために下降してくる世界です。
そして、最も高いレベルが根元的なイメージの世界です。
彼は神の自己顕現は繰り返すことがなく、この世界のダイナミズムは「瞬間ごとにおける創造の更新」と考えました。

(イブン・アラビーの宇宙論)
絶対的一性=純粋存在
矛盾的一性=永遠の原型=根源的イメージ
⇒使徒性・預言者性・聖者性
宇宙的魂・イメージ
個人的魂・イメージ

ロゴスを完全な形で体現する人間は「完全なる人間(普遍的人間)」と呼ばれます。
これは人間と宇宙の原型であって、「原人間」、「ムハンマド的光」、「第1知性体」です。
そして法を与える「使徒性」、天使から啓示を受ける「預言者性」、神から知識を得る「聖者性」の3つを持ちます。

ギリシャ哲学では世界を「素材」と「形・性質」の観点から考えましたが、イスラム哲学ではイブン・スィーナー以降、「存在」と「本質」の観点から考えました。
「本質」は「…である」と表現されるもので、形相・性質をより広い観点で意味し、「存在」は「…がある」と表現されるもので、「あるということ」を意味します。

この区別は人間の思考によって生まれる概念的な区別だと考えられたのですが、では、人間の思考以前の実在をも指すのは「存在」と「本質」のどちらだろうか?
これがイスラム哲学と西洋のスコラ学で大問題となりました。
だたし、西洋スコラ学ではイブン・ルシド経由で「存在」と「本質」の区別は最初から実在的な区別だと誤解されて伝わりました。

スフラワルディーを含む多数派は「本質」が実在的だとしたのに対して、イブン・アラビーは「存在」を実在的なものと考えました。
「存在」は絶対的一性である神であって、また、様々に限定されて本質を伴う現われの実質なのです。

例えば「花が存在する」という文章があれば、普通、主語の「花」は「本質」で、述語の「存在する」は「花」のあり方を限定する偶然的な性質です。

ですが、イブン・アラビーは「存在」を重視するので、「存在」だけが常に主語になるべきだと考えました。
つまり、「花が存在する」ではなく「存在が花する」という表現の方が正しいのです。
一切を一なる「存在」が多様化する諸段階と考えるイブン・アラビーの思想は「存在一性論」と呼ばれ、現在のイランの正統派の哲学となっています。

一見、スフラワルディーとイブン・アラビーの思想は反対のようですが、スフラワルディーの「光」をイブン・アラビーの「存在」に置き換えると、2人の思想はほとんど同じ構造を持ったものになります。
ですから、イブン・アラビーの「存在一性論」はすぐにフラワルディーの「照明学」と結びつけられて継承されていきました。

特に、17世紀ペルシャのサファビー朝期には、「サファビー朝ルネッサンス」と呼ばれるようにイスラム独特の文化が栄え、神智学も発展しました。
その代表的な神智学者はイスファハーン学派のミール・ダーマード(本質重視派)やその弟子のモッラー・サドラー(存在重視派)らです。
その後も、19世紀のサブザワーリーといった神智学者によって継承・発展させられ、現在に至る生きた思想となっています。


nice!(0)  コメント(0) 

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。