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至高存在と根源の探究 [古代ギリシャ]

ミレトスの哲学者は、自然の中に絶対的な一なる神を見い出して、自然とこの至高存在を、一体の生きた霊的存在であると見なしました。
つまり、神は自然に内在しつつ超越する存在で、神は自然を生み出して、やがて自然がそこに帰るべき存在なのです。
このように、自然を神と考えたり、非人格的な唯一の絶対的存在を見い出す発想も、また、そういった神を直感するような神秘的体験を公に表現する姿勢も、オリンポスの宗教にはありませんでした。
 
ミレトスに始まる初期ギリシャ哲学のテーマは、よく世界の根源の探究として語られます。
これは「世界を作る根源的な素材は何か」という問ですが、それを越えて「世界の第一の原因である至高の神の本質は何か」という問でもあるのです。
 
最初の哲学者と呼ばれるタレスは「水」、アナクシメネスは「空気」、ミレトスより北にあるエフェソスのヘラクレイトスは「火」が世界の根源だと考えました。
これらは我々が良く知っている物質そのものではなくて、4大元素として知られる象徴的に捉えられる抽象的な素材を指しています。
これらを世界の根源と考える発想には、神話とのつながりも感じます。
つまり、「水」は「原初の水」、「空気」は「空虚・天空」、「火」は「光・太陽神」といった神話で語られるの存在を抽象的に解釈したものかもしれません。
「火」を根源と考える発想には、ゾロアスター教の影響があるかもしれません。
 
また、アナクシマンドロスは4大元素が作られる素材である「無限定なもの」が世界の根源だとしました。
これはズルワン主義のアイテールに近い存在でしょうが、神話的には「混沌」とのつながりも感じます。
 
神話で語られるこういった存在が、単なる素材でなく高い存在として解釈されていったように、哲学者の語る元素も、単なる素材以上の高い存在を表現していたのかもしれません。
 
南イタリアのエレアのクセノファネスの考える至高存在は「一即全(ヘン・カイ・パン)」という言葉に表わされます。
これは至高存在を「一なるもの」として捉えて、これがすべての自然を生み出してそれに内在しつつ超越することを、明確に表現しています。
 
同じエレアのパルメニデスの考える至高存在は、「存在=思考」として表わされます。
彼は至高存在を「存在」と表現しました。逆に言えば、存在の名に値するのは究極の神的存在だけで、他のすべてのものは幻のようなものなのです。
つまり、「一即全」の「一」だけを認めたのです。
これはインド思想と似ています。
そしてこの「存在」は「思考する」知的な存在なのです。
ですが、存在するものは自分だけなので、必然的に「自分自身を思考する」存在なのです。
つまり、霊的で直観的な意識存在なのです。
また、パルメニデスにとっての至高存在は球体の「不動」な存在です。
これは、ヘラクレイトスが世界を「生成運動」として捉えて、至高存在をその極限と考えたことと対照的です。
 
イオニア近辺からギリシャ本土のアテナイに最初に哲学を持ち込んだアナクサゴラスは、「ヌース」を根源的な存在と考えました。
「ヌース」は常にあらゆるところに存在して、魂を支配し、天体の運動を秩序づける存在です。
「ヌース」は「精神」、「知性」、「英知」、「意志」などの意味を持っていますが、このブログでは「霊的直観/霊的知性」と訳しています。
「ヌース」はプラトン以降、カント以前の哲学の中で、魂や理性的思考より上位に存在する重要な存在と考えられるようになりました。

 


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